それは蒔く者と刈る者がともに喜ぶためです。

静まりの時 ヨハネ4・31~38
日付:2023年11月13日(月)

31 その間、弟子たちはイエスに「先生、食事をしてください」と勧めていた。
32 ところが、イエスは彼らに言われた。「わたしには、あなたがたが知らない食べ物があります。」
33 そこで、弟子たちは互いに言った。「だれかが食べる物を持って来たのだろうか。」
34 イエスは彼らに言われた。「わたしの食べ物とは、わたしを遣わされた方のみこころを行い、そのわざを成し遂げることです。
(31~34)

 弟子たちがイエスさまに食事を勧めます。その言葉を受けてイエスさまは、霊的なお話をされました。イエスさまにとって、すべてのことは、神さまとのかかわりの中にある出来事なのです。
 弟子たちの知らない食べ物、おおよそ人間の知らない食べ物。それは、父なる神さまのみこころを行い、それを成し遂げることである、と。
 私たちは、食べることによって、生きる力や喜びをいただきます。そのように、神さまのみこころを行い成し遂げることが、私たちに生きる力や喜びを生み出します。人生が虚しく、空っぽのように感じるならば、この、神さまのみこころを行なう、ということに心を向けてみればよいのです。

35 あなたがたは、『まだ四か月あって、それから刈り入れだ』と言ってはいませんか。しかし、あなたがたに言います。目を上げて畑を見なさい。色づいて、刈り入れるばかりになっています。
36 すでに、刈る者は報酬を受け、永遠のいのちに至る実を集めています。それは蒔く者と刈る者がともに喜ぶためです。
37 ですから、『一人が種を蒔き、ほかの者が刈り入れる』ということばはまことです。
38 わたしはあなたがたを、自分たちが労苦したのでないものを刈り入れるために遣わしました。ほかの者たちが労苦し、あなたがたがその労苦の実にあずかっているのです。」
(35~38)

 イエスさまにとって、神さまのみこころを行うこと、とは、具体的には、「刈り入れ」、ということのようです。刈り入れとは、麦などを収穫する、という意味ですが、ここでは、人びとが神さまのもとに帰ってくるためのお手伝いをする、ということでしょう。種をまく、ということは、神さまへ帰ってくる道をお知らせする、ということでしょう。宣教の働きを語っているのだと思います。福音を宣べ伝える、という種まき、そしてそれを聴いた人たちがイエスさまを信じて神さまのもとに帰ってくる、そうして教会生活を祝福の内に送っていくためのお手伝いをする、という刈り入れ。
 この種をまく者と、刈り入れる者が、一緒に喜ぶ。それが宣教の業である、とイエスさまは言われました。

 種が蒔かれた時、種を蒔く者は、まだ収穫を見ていません。苦労ばかりが重なります。しかし収穫の時を思い描きながら、希望をもって蒔きます。
 収穫の時、収穫する者は、自分が蒔いたものではないものを刈り取るといいます。そうであれば、種まきの苦労を知らずに、ただ収穫の喜びにあずかることが出来るのですから、なんと幸いなことだろうか、と思います。もちろん収穫も相当な苦労だと思いますが、そこには実りが見えているわけですから、やはり喜びがあります。
 では、この種を蒔く者と、収穫する者が、一緒に喜ぶということは、いったいどういうことでしょうか。種を蒔く者は、いつ、どのように、その喜びを味わい知ることが出来るのでしょうか。

 私は、これは、天国のことではないか、と思います。
 妻が写真の整理をしていて、30年以上まえに、お世話になっていたころの写真が出て来ました。教会の皆さんと一緒にワゴン車でもみじ狩りに出かけたときの集合写真でした。これに写っている方で地上に残っているのは、私ともう一人の姉妹だけで、あとは皆さん、天国に行かれました。あらためてたくさんの方の祈りによって、今があるのだ、ということを思います。
 そして、いま私たちが神さまのお心を求めて、何かをしているとすれば、それは、必ずしも、自分が刈り取ることを想定しなくてもよい、とも思わされます。中途半端はあまり喜ばしいことではありませんが、しかし人生はどこか中途半端で去っていくことになる、ということが想定されているのではないかと思います。しかし私の計画を超えた計画を神さまがお持ちになっておられるのですから、自分にとっては中途半端に見えたとしても、それが最善なのだと信じることが出来る、ということです。
 やがて天の御国において、ともに喜びの時がやってくることを感謝したいと思います。

 また、さらに、この天国は、なにも死後のことだけではないと思います。毎週行われる礼拝では、この地上に生きる者たちだけではなく、天に帰られた方々と一緒に礼拝を献げているのです。目に見える者と目に見えない者が一緒になって、賛美を歌い、聖書を読み、学ぶ、祈る、ということ。それが礼拝です。そこでも、種を蒔く者と刈り入れる者とが一緒になって、喜びの時をいただいているのです。

 昨日は、婚約式が行われました。ご両親やご家族もお見えになり、二人の約束の時を見守りました。良い準備をして、新しい出発を迎えられるようにと祈ります。お二人の祝福とともに、お二人につながる方々の祝福を祈ります。昔「ふたりのため~、世界はあるの~・・・」という流行歌がありましたが、ある牧師は、これだけは教会で歌わないでください、と言っていました(笑)。もし教会で歌うとすれば、二人のために世界はある、ではなく、世界のために二人はある、ではないかと。あまり言いすぎるとちょっと大変ですので、ささやかにつながる家族の喜びとなるような結婚生活となりますようにと、祈ります。