聞いて、お赦しください。

静まりの時 第二歴代誌6・18~23
日付:2023年10月23日(月)

あなたのしもべとあなたの民イスラエルが、この場所に向かってささげる願いを聞いてください。あなたご自身が、あなたの御住まいの場所、天からこれを聞いてください。聞いて、お赦しください。
(21)

 ソロモンは神殿が建ったときに祈りました。その祈りの中で、祈りを聞いてください、と祈ります。神さまは祈りを聞いてくださるお方です。しかしここで、ことさら祈りを聞いてください、と祈っています。また神さまはどこであろうと、祈る者の祈りを聞いてくださいます。しかしソロモンは「この場所に向かってささげる願い」を聞いてください、と祈りました。
 神さまは、私たちがどこにいようが、捧げる祈りを聞いてくださいます。また言葉にならなくても、心の内にあることさえも聞いてくださいます。にも関わらず、聞いてください、この場所に向かってささげる願いを聞いてください、と祈るのは、祈りにおける人間の弱さをソロモンはよく知っていたからではないかとと思いました。
 どこでも、どんな状況でも祈ればよいのです。しかし、時と場所を決めて祈る、ということも、人間にとっては大切なことではないか、と思います。時間を決める、場所を決める、そういう具体的な環境を整えて祈るのです。独りになることのできる場所、この世界がお入れすることのできない神さまの偉大さを、自分自身が全身で感じることのできる環境を整える。そうして祈りの習慣を形作るのです。

 「聞いて、お赦しください」と祈りました。新共同訳では「聞き届けて、罪を赦してください」と訳されています。赦してください、という言葉は、おのずと、罪の赦しを現わしている、ということでしょう。
 祈りを聞いてください、という言葉は、たとえば、聞いて、実現してください、という言葉のほうがしっくりくるような気がします。しかしソロモンは、聞いて、赦してください、罪を赦してください、と祈りました。ソロモンは、罪の悔い改めの祈りを想定していた、ということでしょう。

 赦していただかなければならないことがたくさんあります。人間は皆そうです。赦していただかなければならないことがたくさんあるにも関わらず、今こうして生かされているということは、すでに神さまは赦していてくださるのです。そうでなければ、アナニヤとサッピラのよう(使徒5章)に瞬時に裁きが下されているはずです。
 神さまはすでに赦していてくださるにもかかわらず、赦してください、と祈るのは、祈る私たちのためかもしれません。赦されなければならないものであることを知り、赦しをいただいているものであることを知る、告白する。十字架と復活の主にお出会いする祈り。すでにお出会い下さり、ともにいてくださる主が、あらためてともにいてくださることを知るための祈りです。
 エマオの途上で、すでに共に歩んでいてくださったお方が、主であることを知るための道程(みちのり)。それが祈りなのかもしれません。

 サイトのデザインを変更した際、このブログを黒にしました。その後、再びいじっている中で、今度は白の背景に黒の文字ということに変化してしまいました。しばらくはこの状態かな、と思っていますが、またまた変わる時がやってくるような気もします。サイトのデザインは奥深く、なかなか思い通りになりません。