愛のうちに建てられることになります

静まりの時 エペソ4・7~16
日付:2023年10月12日(木)

キリストによって、からだ全体は、あらゆる節々を支えとして組み合わされ、つなぎ合わされ、それぞれの部分がその分に応じて働くことにより成長して、愛のうちに建てられることになります。
(エペソ4・16)

 神さまは、「キリストの賜物の量り」をお持ちになっておられ、それにしたがって「恵み」を私たち一人ひとりに与えて下さいました。その目的は、教会を建て上げるため、です。教会を建てる、というのは、建物のことではありません。しかし単に人間の集まりのことを抽象的に語っているのでもありません。具体的に人びとが集い、組織が整えられ、礼拝が捧げられていく群れ、が建て上げられていく、ということです。教会のことを聖書は「エクレシア」と語りました。エクレシアとは、呼び集められた者たちということです。召団と訳しているところもあるようです。人間が集まりたいから集まった、というものでも、何か社会運動をするために手段として組織づくられた、というのでもなく、神さまが、神さまご自身の目的をお持ちになって召しだしてくださった群れ、なのです。
 その教会を建て上げるために、必要な賜物を持った人材を、神さまが集められた、というのではなく、集められた人びとに、神さまが賜物を与えて下さった、というのです。もし教会に来る前に賜物が与えられているとすれば、それも先行の恵みをもって神さまが与えて下さったのだ、というのです。人間に誇るところはなにもありません。
 その賜物を用いて、教会が建て上げられる、のです。賜物というのは、ひたすら教会が建て上げられるためのものなのです。
 集められた一人ひとりは、みな別の人格です。しかしその別々の者たちが、一つになっていく。それは皆同じようなものになるということではなく、皆それぞれ違いを持っている、その違いが「組み合わされて」一つに建て上げられてく、それが教会である、といいます。そしてそれらはすべて「愛のうちに建て上げられる」といいます。ですから、教会が建て上げられるために、一人ひとりがそれぞれの賜物を用いる時、それぞれも最高に生かされることになるのです。

 愛のうちに建て上げられる。
 何度か普請場を見たことがありますが、職人さんたちが一所懸命にそれぞれの仕事をしている姿は美しいものですね。少しずつ形が出来ていくのを見てわくわくした気持ちを思い起こします。最近の建物の壁面は、石膏ボードを張り、その上にクロスを張る、という仕上がりが多いようです。クロスの美しさで、部屋は明るく素敵になります。しかしその裏には大工さんのわざがあり、壁面の美しさを支えています。柱や骨組みの緻密な作業もありますし、石膏ボードを張るときの釘一つを見ても、クロスを張った時に釘の頭が感じられないような打ち方がされているようです。作業は危険を伴うことも多いので皆さん真剣です。時に厳しい言葉も飛び交います。しかし休憩の時や昼食の時などは、和気あいあいと冗談が飛び交って楽しそうです。そうして建て上げられた家に住む者は幸せなのだと思います。
 教会が愛のうちに建て上げられる、その愛とは、神さまの私たちへの愛、私たちの神さまへの愛、そして私たちお互いの間の愛です。この三つの愛によって教会は建て上げられていくのです。