静まりの時 使徒11・19~26
日付:2023年06月26日(月)
19 さて、ステパノのことから起こった迫害により散らされた人々は、フェニキア、キプロス、アンティオキアまで進んで行ったが、ユダヤ人以外の人には、だれにもみことばを語らなかった。
20 ところが、彼らの中にキプロス人とクレネ人が何人かいて、アンティオキアに来ると、ギリシア語を話す人たちにも語りかけ、主イエスの福音を宣べ伝えた。
21 そして、主の御手が彼らとともにあったので、大勢の人が信じて主に立ち返った。
22 この知らせがエルサレムにある教会の耳に入ったので、彼らはバルナバをアンティオキアに遣わした。
23 バルナバはそこに到着し、神の恵みを見て喜んだ。そして、心を堅く保っていつも主にとどまっているようにと、皆を励ました。
24 彼は立派な人物で、聖霊と信仰に満ちている人であった。こうして、大勢の人たちが主に導かれた。
25 それから、バルナバはサウロを捜しにタルソに行き、
26 彼を見つけて、アンティオキアに連れて来た。彼らは、まる一年の間教会に集い、大勢の人たちを教えた。弟子たちは、アンティオキアで初めて、キリスト者と呼ばれるようになった。
(使徒11・19~26)
初代教会が異邦人宣教を開始することになったのは、予定にはなかったことでした。「ユダヤ人以外の人には、だれもみことばを語らなかった」というのは語るのを拒否したというのではなく、そういうことは想定していなかった、ということです。律法を知らず割礼も受けていない人に福音を語るということは、考えられないことだったのです。ところが、予想外の出来事がおこり、ギリシャ人が福音を聞くことになりました。聞いただけで終わったのかというとそうではなく、「主の御手が彼らとともにあった」ので、福音を聞いたその人たちが、ことごとく救われるということが起こったのです。異邦人宣教は、初代教会が宣教拡大を目標に戦略的に始めたことではなく、このように偶発的な出来事として始まりました。
その驚くべきことが、エルサレム教会に聞こえてきました。この「聞こえてきた」という言葉は、おもしろいですね。テレビもインターネットもない時代に、聞こえてきた、のです。どれほど大きな出来事だったのかを想像させる言葉です。
そこでバルナバが遣わされることとなりました。こういう事態の中で誰を遣わすかは大切な問題です。人によっては伝統的な考え方を重視するあまり何を見ても否定してしまうこともあるでしょう。逆に新しいことに対して柔軟に対応することができる人もいます。柔軟すぎて本質を見失うということもあるでしょう。どちらが良いとは言えません。先日「チコちゃんに叱られる」で、賢い人というのは、適応力のある人である、との専門家の言葉がありました。なるほど・・・。バルナバはそういう人物だったのかもしれません。
遣わされたバルナバは「そこに到着し、神の恵みを見て喜んだ」。バルナバは、そこに「神の恵み」を見ることのできる人物でした。そしてそれを「喜ぶ」ことのできる人物だったのです。神の恵みは、時折隠れています。信仰を持って見ないと見えないことがあります。あるいは愛をもって見なければ見えない、ということかもしれません。すべてに神さまの御手があるのですから、あらゆることの中に神さまの恵みを発見したいと思います。そしてそれを心から喜びたいと思います。
バルナバは「心を堅く保っていつも主にとどまっているようにと、皆を励まし」ました。神さまのお働きによって始まった御業、そして生まれた教会が、健康に前進し、成長していくために欠かすことができないのは「主にとどまること」です。主を追い越さない、主に後れを取らない、主にのみとどまり続けること。それが信仰を先進させ、教会が成長する道なのです。
さてバルナバは、その足で「パウロ」を探しに出かけました。回心したパウロ(サウロ)はアナニヤの導きを得て、ダマスコの弟子たちと共に過ごし、エルサレムの仲間に入ろうと試みましたがうまくいかなかったようです(使徒9・26~)。そんなパウロを引き受けたのがバルナバでした。バルナバのおかげで、パウロはエルサレムで自由に信仰生活を送ることができたのです。そののちパウロはタルソに送り出されていました。
そのパウロを、バルナバは探しにダルソに出かけたのです。おそらく救われた異邦人によって生まれたアンティオキア教会を導く人材としてパウロが最適であると考えたからでしょう。バルナバに見つけられたパウロは、アンティオキアに連れてこられました。そして一年間もの間、教会を導くことになりました。
このアンティオキアにおいて、「初めて、キリスト者と呼ばれるようになった」と聖書は語ります。キリスト者、すなわちクリスチャンという言葉はここに生まれました。自分たちが、私たちはクリスチャンやで~、と言ったことが始まりではなく、人びとからつけられた「あだ名」だったのですね。何も語らずとも、その生きざまを見て「あれはクリスチャンやで~」と言われるような人になりたいですね。
さて二つのことに注目したいと思います。
23,24節aを共同訳で見てみましょう。
「バルナバはそこに到着すると、神の恵みを見て喜び、そして、揺るぎない心で主にとどまっているようにと、皆を励ました。バルナバは立派な人物で、聖霊と信仰とに満ちていたからである。」
この24節に、バルナバの人となり、「立派な人物で、聖霊と信仰とに満ちていた」が紹介されています。新改訳ではただ紹介されているということですが、共同訳では前節の理由として記されているように思えます。すなわちバルナバが、異邦人の中に行われた神さまの恵みを見て喜び、かれらを励ますことができたのは、彼が「立派な人物で、聖霊と信仰とに満ちていた」人だったからである、と聖書は語っているのです。
立派な人物で聖霊と信仰に満ちている人というのは、神さまの恵みを発見することのできる人、それを見て喜ぶことのできる人、さらには、イエスさまにしっかりととどまっていなさいよ、と、指導するのではなく励ますことのできる人、なのです。そんな人になりたいと思います。
もう一つは、26節
「弟子たちは、アンティオキアで初めて、キリスト者と呼ばれるようになった。」
この「キリスト者」という言葉ですが、原文のギリシャ語では「クリスティアノス」という言葉です。これは「キリスト者」と訳される言葉ですが、もう一つの意味が想像されると言われます。
この言葉に関する竹森先生の文章を引用してみたいと思います。
「アンテオケ教会について、もう一つ記憶すべきことは、ここではじめて、弟子たちはクリティアノスとよばれるようになったことである。しかし、クリスティアノスはクレスティアノスすなわちクレストス(有用な、親切な)というようにも変えて用いられたらしいところを見ると、明確に区別することは難しかったと思われる。そこに、キリスト者に対する見方をも見ることができる」
(竹森満佐一、『使徒行伝講解』、日本基督教団、1965年、187頁f)
ギリシャ語にはクリストス(キリスト)という言葉によく似た言葉として「クレストス」(役に立つ、有益な)があって、いずれもアルファベット7文字の単語であり、三番目のアルファベットが違うだけで、とてもよく似た単語なのですね。竹森先生の説明によると、故意がそうでないかは分かりませんが、この両者を明確に区別しないで使われていた、ということでしょう。あれはクリスチャンやで~、という言葉は、決して蔑視の言葉ではなく、あれはクリスチャンや、役に立つやつやで~、あれに任しておくと大丈夫や~、なにせ「クリスティアノス」は「クレスティアノス」や~(ざぶとん一枚!)、みたいな使われ方がされていたということでしょう。誉め言葉とまではいわなくとも、社会に好意をもって受け入れられていたということが想像されます。
キリスト者だ、ということが、世界に好意をもって受け入れられていること。それは今日でも、ほぼ、同じではないかと思います。これは二千年の先輩のキリスト者が築いてくださったものです。迫害の時代もあり、あるいは教会内においても血塗られた事件を数々経験しつつも、「クリスティアノス」(キリスト者)は「クレスティアノス」(有用な人)と言われ始め、今日まで続ているのです。
こののち百年後、千年後、二千年後にも同じように「クリスティアノス」(キリスト者)は「クレスティアノス」(有用な人)と言われ続けることができるためには、今を生きる私たちの信仰生活の在り方が問われています。
昨日は、同労の先生によって御言葉のご奉仕をいただきました。感謝です。しっかりとした釈義に基づきまっすぐに福音を伝えて下さいました。とても恵まれた礼拝でした。