静まりの時 哀歌3・22~27
日付:2023年06月24日(土)
主の慈しみは絶えることがない。
その憐れみは尽きることがない。
それは朝ごとに新しい。
あなたの真実は尽きることがない。
「主こそ私の受ける分」と私の魂は言い
それゆえ、私は主を待ち望む。
主は、ご自分に希望を置く者に
ご自分を探し求める魂に恵み深い。
主の救いを黙して待ち望む者に恵み深く
若い時に軛を負う者に恵み深い。
(哀歌3・22~27、共同訳2018)
神さまの慈しみ、憐れみは絶えることなく、尽きることがない。それは朝ごとに新しい。神さまの愛には、限界がない、無限の愛である。新しい一日が始まると、また新しく注がれる、それが神さまの愛である、と聖書は語ります。
私たちは愛がなければ生きることができません。誰かに愛され、誰かを愛することによって生きている、生かされているのです。親子の愛、男女の愛、友情、さまざまな愛によって生かされています。
しかしそれが人間の愛である限り、常に限界が伴います。生かす愛にならないことがあります。ときに、殺してしまうような愛にもなります。しかし神さまの愛は、絶えることなく、尽きることがありません。常に、私たちを生かす愛です。
また私たち人間の愛は過去に縛られる愛です。いま愛そうとすることに、過去の出来事が影を落とします。良い意味にも、悪い意味にも影響を与えます。しかし神さまの愛は、つねに新しく注がれます。どのような過去があったとしても、まるで何もなかったかのように新しく注がれます。朝一番にとれた野菜のように新しいので、力に満ちています。
神さまは、私たちに真実を尽くしてくださいます。絶えることのない慈しみの神さま、尽きることのない憐れみの神さまこそ、真実なお方です。おおよそ愛がなければ真実も空しいものです。また真実のない愛は空虚です。
神さまこそ愛なるお方なので、私たちはこのお方を待ち望みます。神さまに希望を置きます。どのような絶望の中におかれても、ゆるぎなく愛と真実の神さまがともにいてくださいます。私たちはこのお方を探し求め、神さまによる救いを静かに待ち望みます。たとえそのためにくびきを負うことになったとしても、希望を失うことがありません。そのような者に、神さまは恵み深く共にいてくださいます。
このような神さまの愛に生かされる者は、また互いに愛する者として世界に遣わされます。
今日は備えの日。明日は主の日です。良い備えの一日を送りたいと思います。また今日は、団体主催の賛美集会が東近江教会を会場に行われます。ここ3年ほどはコロナ禍で行えなかったので、久しぶりの集いとなります。遠くから近くからともに集まって、主に賛美を捧げます。
教会の賛美グループによる賛美に加えて、牧師、宣教師による賛美、山グループの賛美など、楽しい企画となりそうです。WECジャパンのリーダの先生によるメッセージもあります。いろいろとご準備くださている先生方、信徒の皆さんに感謝します。
昨日の沖縄全戦没者追悼式」で高校3年生の青年が詠んだ平和の詩から
「おばぁの涙は 摩文仁の丘に永遠(とわ)に灯る平和の火は 今、私達に問いかける
平和とは何かを 私達に出来ることは何かを」
そしてこの問いに「私は過去から学び そして未来へと語り継いでいきたい」と、青年は応えました。