それが良くても悪くても

静まりの時 エレミヤ42・1~6
日付:2023年06月23日(金)

5 彼らはエレミヤに言った。「主が、私たちの間で真実で確かな証人であられますように。私たちは必ず、あなたの神、主が私たちのためにあなたを遣わして告げられることばのとおりに、すべて行います。
6 それが良くても悪くても、私たちは、あなたを遣わされた私たちの神、主の御声に聞き従います。私たちの神、主の御声に聞き従って幸せを得るためです。」
(エレミヤ42・5、6)

 身分にかかわらず多くの人が預言者エレミヤに近づいて願いました。神さまのお言葉を教えてほしい。我々がこの先どのように歩むべきか、何をなすべきか、神さまがどのようにお考えになっておられるのかを教えてほしい、と願いました。そして、その告げられる言葉が「良くても悪くても」、すなわちどのようなものであっても、自分たちは従うと言いました。そうして、幸せを得たいと。
 神さまの御言葉に従うところに、幸せな人生があると民は語ったのです。エレミヤはその民の言葉を受け止めます。果たして10日目にエレミヤを通して主の言葉が語られるのですが、結局その言葉に民は従いませんでした。「高ぶった人たち」(43章2節)すなわち高慢な人びとは、いくら御言葉が語られても、それが自分にとって悪い言葉であれば従うことをしないのです。

 人間は常に「良い」道を求めています。この場合の良いは、道徳的な善悪だけにとどまりません。レストランでメニューを見て選択するときに「今日はどのメニューがいい(良い)かな」と思って選びます。飾られている花の美しさを見て、いい(良い)ですね、と言います。大切な場所に来ていく服は、どれがいい(良い)だろうか、敵対する勢力を封じ込めるためにはどのような「良い」方法があるだろうか、などなど。機能的に良い、都合が良い、経済的に良い、などあらゆる場面で、「良い」道を選択したいと考えています。
 しかし、その良いと考える道が、本当に良いものであるのかを、人間は知りません。自分にとって良い、ということが、必ずしも他者にとって、世界にとって、さらには自分にとって良いこととはならない、ということがあります。本当に良い道をご存じなのは神さまだけです。神さまのみ言葉にこそ、私たちに幸せをもたらす確かな道がある、神さまの言葉に「良くても悪くても」聞き従うところに、私たちの幸せがあるのです。

 しかし、良くても悪くても従うこととはいったいどういうことでしょう。語られた言葉がどのようなものであっても盲目的に従うということでしょうか。

 確かに語られる言葉が、権力をもって語られるとすれば、盲目的に従う、ということが起こります。権力をもって語られるというのは、聴く者にとって選択の自由がない、余地がない、という状況の中で語られる、ということです。
 それに対してイエスさまは権威ある者として語ってくださいました(ルカ4・32)。権威をもって語る、というのは、聞く者に選択の自由が保障されている中にあって、その聞く者が、語られる言葉に「自律的」に従おうと決心する、ということが期待されていることです。その自律的な決意とは、信仰であり愛である、と思います。おおよそ聖書の言葉は聞く者に信仰と愛を求めています。権威ある言葉として語られています。教会は、権威をもって聖書の言葉を語らなければなりません。権威と言いつつ、権力的に、すなわち聞く者に自由な選択を与えない中で語ってはいけません。そういう意味では、御言葉が語られる礼拝は、いわゆる「冷静」な場所でなければなりません。感情的に高ぶらせ、冷静な判断ができない状態にして、そこで御言葉を語る、ということは、権威をもって語っているのではなく、権力の許に語っていることになります。

 良くても悪くても従うということは、この信仰と愛によって生まれることなのです。「自分にとって」良くても悪くても、と、読むと理解しやすいことですが、聖書には自分にとってという言葉がありません。つまり自分だけではなく、他者にとっても、世界にとっても、良いか悪いかの根拠を、聖書の御言葉に尋ねていく、ということです。

 長野県上田市に「無言館」という美術館があります。戦没画学生慰霊美術館と紹介されています。画家、彫刻家、その他様々な芸術活動に人生を歩み出しつつ戦争によってその志しを遂げることのできなかった多くの若者たちがいました。彼らの遺品となった油彩、水彩、日本画、スケッチ、デッサン、彫刻、塑像などなど、作者の簡単な紹介とともに展示されていました。小高い丘の森に静かにたたずむコンクリート打ちっぱなしの建物は、天国から十字架に見えるように設計されていて、まるで教会のようでした。短い青春の無念を想像しながら、いま生かされていることの大切さを思いました。安曇野ちひろ美術館で井上ひさしの『こどもに伝える日本国憲法』も手にしたのですが、終戦当時、日本の男性の平均寿命は20代だったのですね。戦争はどのような理由があっても起こしてはならない、と深く思いました。戦争も、ある人たちが「良い」と思って始めてしまったことなのです。いまも良かれと思って、現状に都合の良いように憲法を変えようとする動きがあるのですが、人間の考える良し悪しには、限界があるということをわきまえていなければならないと思いました。

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