主にすがってきたあなたがたはみな、今日生きている

静まりの時 申命記4・1~4
日付:2023年06月22日(木)

しかし、あなたがたの神、主にすがってきたあなたがたはみな、今日生きている。(申命記4・4)

 「バアル・ペオル」に従った者すべては、神さまによって滅ぼされてしまった。しかし、神さまにすがってきたあなたがたはみな、今日生きている。
 共同訳では

「しかしあなたがたの神、主に付き従ったあなたがたは皆、今日も生きている」(共同訳2018)。

 今日も生きている。今日も、神さまによって生かされている。それは、ペオルのバアルに従わず、神さまにつき従ってきたからである、とモーセはイスラエルの民に向かって語りました。
 バアルとはいったいなんであるのか。聖書を読むとそれが異教の神の名前であることが分かります。しかしたびたび人の名前としても出てきます。聖書で最初に見つけることができるのは、創世記36章38節の「アクボルの息子バアル・ハナン」でしょうか。この「バアル」という言葉について、新聖書辞典(いのちのことば社)には

「悪名高い偶像のバアルと同じつづりだが、元来ヘブル語の普通名詞としては『主人』『所有者』という意味で、夫についても使われ、神を指すことばともなった。」

と書かれています。

また新キリスト教辞典には

「〈ヘ〉バアルには、「主人」「夫」という意味があり、権力や所有権を持つ者を指し、具体的には旧約時代におけるカナンの地の土着の豊穰神の固有名詞として知られている。従ってバアルは男神であり、相対する女神は「アシュタロテ」である(士師2:13)(『新聖書辞典』「アシュタロテ」の項、いのちのことば社)。カナンにおける農業宗教として、バアル崇拝は大きな感化を社会に与えていた。農業宗教、肥沃神の*偶像崇拝は、性の結合の原理を豊作豊穰のための宗教儀式に適用するゆえに、道徳倫理面での廃退につながり、ついには神話的な神秘的な要素も組み入れられ、神殿男娼や神殿娼婦などによる混合主義的*異教の感化がカナンの地(パレスチナ地方)に根強くなっていた。」

とありました。〈ヘ〉とはヘブル語という意味です。

 ヘブル語で、主、主人という言葉が、「バアル」なので、まことの神さまに向かっても主と語ろうとすると、異教の神の名前と混同してしまうことが起こります。そんなこともあってまことの神さまを呼び求める名前として「ヤーウェ」という言葉を神さまから教えていただいた事には相当大きな意味があるようです。

 異教の神バアルは、いわゆる豊穣の神なので、バアルに依り頼む、すがる、つき従う、ということは、すなわち、人間の願望を実現するための神ということになるでしょうか。そうであれば、バアルに頼るということは、自分を主人として生きるということでもあります。それに対して、まことの神さまのみに御頼りして生きるということは、自らを主人とせず、神さまを主人として生きるということでしょう。
 一見、バアルに依り頼むほうが、生きる道が開かれるように思えるのでしょう。まことの神さまにすがったところで、生きる道は開かれないのではないか、と。

 目に見えて力強く見えるこの世の知恵や力は魅力的です。それに対して十字架に架かられたお方には、魅力どころか、悲しみや苦しみが詰まっています。このお方にすがって生きようとするのは、この世から見ればまことに愚かなことのように思えるのかもしれません。しかしこのお方にすがって生きる者にこそ、「今日も生きている」という言葉が実現するのです。