主の契約の箱を担ぐ祭司たちは

静まりの時 ヨシュア3・14~17
日付:2023年04月22日(土)

 民がヨルダン川を渡ろうとして彼らの天幕から出発したとき、契約の箱を担ぐ祭司たちは民の先頭にいた。
 箱を担ぐ者たちがヨルダン川まで来たとき、ヨルダン川は刈り入れの期間中で、どこの川岸にも水があふれていた。ところが、箱を担ぐ祭司たちの足が水際の水に浸ると、川上から流れ下る水が立ち止まった。一つの堰が、はるかかなた、ツァレタンのそばにある町アダムで立ち上がり、アラバの海、すなわち塩の海へ流れ下る水は完全にせき止められて、民はエリコに面したところを渡った。
 主の契約の箱を担ぐ祭司たちは、ヨルダン川の真ん中の乾いたところにしっかりと立ち止まった。イスラエル全体は乾いたところを渡り、ついに民全員がヨルダン川を渡り終えた。
(ヨシュア3・14~17)

 かつてモーセによって導かれた民が紅海を渡った時と同じように、今度はヨシュアに導かれて民はヨルダン川を渡ります。
 契約の箱を担ぐ祭司たちが民の先頭にいました。契約の箱とは、十戒の石の板が入れられている箱です。映画『失われたアーク』のアークです。
 この契約の箱を担ぐ祭司が先頭を進むのですが、ヨルダン川に足を入れると、川上から流れ下る水がせき止められました。「はるかかなた」で水の堰が立ち上がったのです。まじかで水が堰き止められたならば不安ですが、はるかかなたで堰き止められたので安心です。そうして民は乾いたところを渡り、ついに民全員がヨルダン川を渡り終えました。
 この出来事の目的を聖書は、

「その日、主は全イスラエルの目の前で、ヨシュアを大いなる者とされた。それで彼らは、モーセを恐れたように、ヨシュアをその一生の間、恐れた。」(ヨシュア4・14)
「それは、地のあらゆる民が主の手が強いことを知るためであり、あなたがたがいつも、自分たちの神、主を恐れるためである。」(ヨシュア4・24)

 つまり、ヨシュアを恐れるため。それは人間であるヨシュアに対する恐れではなく、神さまご自身への恐れを持つためである、といいます。おおよそ奇跡というのは、神さまを恐れるためになされるのです。そして神さまを恐れるということは、その神さまがお立てになった権威の具体的な現れであるヨシュアへの恐れとなって明らかにされます。
 民の全員が渡り終え、12の石、をヨルダン川の真ん中から取って宿営地に据えたあと、最後にこの祭司たちが渡り終えると、川は元通りになりました。

「主の契約の箱を担ぐ祭司たちは、ヨルダン川の真ん中の乾いたところにしっかりと立ち止まった」(17)。

 主の契約の箱、すなわち神さまの御言葉を携える祭司たちが「しっかりと立ち止まった」ところに神さまの奇跡の御業が行われ、民は力強く目的の地に向かって前進していきました。こんにち新しいイスラエルであるキリスト教会。御言葉が大切に携えられ、先頭を歩み、また真ん中にしっかりと立つことによって、力強く前進します。そうして教会に集う一人ひとりが人生の旅を終え天の御国に入ることができるのでしょう。牧師や役員会、そして信徒の一人ひとりががしっかりと御言葉に立ち、先頭を進み、また真ん中に立ち、しんがりを守りながら、教会はすこやかに前進します。

 団体のひとつの教会の不動産購入に際しての県の関係の手続きですが、おかげさまで順調に進んでいます。次週の月曜日に現地調査となりました。お祈りありがとうございます。前回二年前のときほど手こずることがありませんでした。感謝です。諸教会における福音宣教が前進しますように。働き人たちが喜びと感謝をもって主に仕え続けることができるように祈っています。

 今日は備えの日。明日は主の日です。明日は同労の先生が説教をしてくださいます。感謝です。ご奉仕のために祈ります。礼拝後は短い役員会、教会学校のスタッフ会、男性会、午後にはジャーマンアイリスの鉢の運搬、文書伝道の作業、と盛りだくさんです。
 昨日、高野豆腐の含め煮というのでしょうか、料理をしました。高野豆腐は高タンパク低カロリーでなかなか見上げたものです。良い食品であると普段から尊敬しています。袋に書いてある通りに料理したところ、ちょっと塩加減が強く感じました。薄味に慣れて来たのか、一般的な味付けを塩辛く感じるようになってきたようです。どうしたものかと思案した結果、あらたに塩を入れないものを作り、一緒にするということにしました。浸透圧によって互いになじむのではないか、と。とりあえず保存容器に一緒に入れて冷蔵庫に安置しました。どんな具合になっているでしょうか。