ペテロも彼らと一緒に立って暖まっていた

静まりの時 ヨハネ18・15~18
日付:2023年04月03日(月)

 シモン・ペテロともう一人の弟子はイエスについて行った。この弟子は大祭司の知り合いだったので、イエスと一緒に大祭司の家の中庭に入ったが、ペテロは外で門のところに立っていた。それで、大祭司の知り合いだったもう一人の弟子が出て来て、門番の女に話し、ペテロを中に入れた。
 すると、門番をしていた召使いの女がペテロに、「あなたも、あの人の弟子ではないでしょうね」と言った。ペテロは「違う」と言った。
 しもべたちや下役たちは、寒かったので炭火を起こし、立って暖まっていた。ペテロも彼らと一緒に立って暖まっていた。
(ヨハネ18・15~18)

 ペテロは思わず「違う」と言ってしまったのでしょう。ペテロの中の何がそう語らせたのでしょうか。
 思わず語ってしまった、本当はそうは思ってはいない、けれども、その場の状況がそう語らせたのでしょう。恐怖、保身ということもあったかもしれません。
 思わず語った、というけれども、そういうときの言葉にも一抹の真実が含まれている、ということもあるでしょう。あるいはそういうとっさの時だからこそ、本当の気持ちが語られる、ということもあるかもしれません。
 本当の気持ち。自分さえも本当の気持ちが分かっていない、ということもあるでしょう。自分の心の中にはどのようなものがあるのか。静かに振り返らなければ、見過ごしてしまうような気持があんがいあるものでしょう。
 ペテロはこの自分の語ってしまった言葉に、こののちどんなに後悔するのか。苦しむのか。私たちも思わず語った言葉によって苦しむことを知っています。
 しもべたちや下役たちは、寒かったので炭火を起こして暖まっていました。ペテロも彼らと一緒に暖まっていた、と聖書は記します。春。日中の暖かさは夜がふけると次第になくなってきます。暗闇の中、ペテロは「暖かさ」を求めます。身体もそうですが、なおさらペテロの心には暖かさが必要だったことでしょう。

 罪、後悔、苦しみ。私たちには暖かさが必要なのです。大祭司の庭にいたしもべたちや下役たちの起こした炭火をペテロは求めました。しかしペテロを本当に暖めることができたのはイエスさまだけでしょう。やがてイエスさまはペテロをその心の底から暖めてくださいます。

「こうして彼らが陸地に上がると、そこには炭火がおこされていて、その上には魚があり、またパンがあるのが見えた。」(ヨハネ21・9)

 ペテロはイエスさまが起こしてくださった炭火に暖められるのです。イエスさまの暖かさがペテロを包み込みます。

 昨日は、主の日。礼拝の日でした。久しぶりのかたもお見えになりました。感謝です。
 ビデオ配信に、プロジェクターの画像を挿入することができましたが、解像度の問題からか、端の方が切れてしまいました。今週はこのあたらな問題にチャレンジです。人生はチャレンジの連続です。
 礼拝のあと、みんなで会堂掃除をし、そのあと、有志の方々がお花見に行かれました。掩体壕が遺されている付近の桜が満開とのこと。コロナ禍の過ごし方が少しずつ変わってきています。教会では会議があったので私たちは参加できなかったのですが、良い天気のもとお弁当にて食卓を囲むことができたとのこと。感謝でした。