静まりの時 ガラテヤ3・7~14
日付:2023年 4月 1日 土曜
キリストは、ご自分が私たちのためにのろわれた者となることで、私たちを律法ののろいから贖い出してくださいました。
(ガラテヤ3・13)
「律法ののろい」。律法主義は、他者をさばき自分をさばきます。他者の言動を非難します。また自らの言動を振り返りながら、自らをさいなみます。そののろいのような人生からイエスさまは贖い出してくださいました。イエスさまの十字架を見上げる時、そこに私に代わりにのろいとなってくださった方を発見します。他者によって、また自分自身によって自らをさいなむとき、すでにさいなまれてくださったお方がおられることを知るのです。
もちろんイエスさまが身代わりになってくださったからといって、私たちは開き直ることはできません。イエスさまへの愛が増せば増すほどに、そのありがたさを思いますし、申し訳なさも深まります。開き直ることができるとすれば、それはイエスさまを知らないということでしょう。
律法ののろいから贖い出されたということは、アブラハムの祝福の中に置かれた、ということであると聖書は語ります。アブラハムの祝福とは、ユダヤの人たちからすれば、ものすごい祝福ということでしょう。無から有を生みだして下さった神さまがともにおられるということです。さまざまな失敗や罪を犯すアブラハムでしたが、それにもかかわらず、神さまはアブラハムを祝福しつづけてくださったように、私たちを祝福してくださるのです。本当にもったいないことです。
主は主の日、礼拝の日です。今日、よい備えの一にを送りたいと思います。