よりすぐれた契約の仲介者

静まりの時 ヘブル8・1~6
日付:2023年03月16日(木)

1 以上述べてきたことの要点は、私たちにはこのような大祭司がおられるということです。・・・
6 しかし今、この大祭司は、よりすぐれた契約の仲介者であるだけに、その分、はるかにすぐれた奉仕を得ておられます。その契約は、よりすぐれた約束に基づいて制定されたものです。
(ヘブル8・1~6)

 この6節は、新共同訳、共同訳2018ではそれぞれ以下の通りです。

「しかし、今、わたしたちの大祭司は、それよりはるかに優れた務めを得ておられます。更にまさった約束に基づいて制定された、更にまさった契約の仲介者になられたからです。」(新共同訳)

「しかし今、私たちの大祭司は、はるかに優れた務めを得ておられます。この方は、さらにまさった約束に基づいて制定された、さらにまさった契約の仲介者だからです。」(共同訳2018)

 違いとしては、まず、新改訳で「この大祭司」と訳されれているのに対して、「私たちの大祭司」となっています。
 また新改訳のほうでは、「大祭司ははるかに優れた奉仕(務め)を得ておられる」、それは「よりすぐれた契約の仲介者であるからだ」、「その契約は、よりすぐれた約束に基づて制定された」、という、印象としては最終的に「契約」の説明となっているのに対して、新共同訳、共同訳では、いずれも、大祭司がどのようなお方であるのか、という大祭司の説明となっている、という点でしょうか。これは新改訳第3版、口語訳でも採用されている訳です。
 私たちの大祭司であるイエスさまは、はるかに優れた奉仕、務めを得ておられる、それは、よりすぐれた契約、さらにまさった契約の仲介者であるからだ。あるいは、このよりすぐれた契約は、よりすぐれた約束に基づいて制定されたものである。いずれも、イエスさまのすばらしさは、「すぐれた契約」「さらにまさった契約」「より優れた約束」にある、ということでしょう。
 新しい契約がすばらしいものであると知るためには、古い(旧い)契約がいったいどのようなものであったのかを知る必要があると思います。旧い契約は旧約聖書を見ればよいのだと思いますが、イエスさまが公生涯でしばしば敵対した旧い契約としては、パリサイ派のそれだと思います。律法は本来人を生かすものでしたが、人間的に利用することによって人を殺すものになってしまっていた、ということでしょう。ここに古さ(旧さ)があります。
 新しい契約のすばらしさに生きるキリスト者は、パリサイ派的に律法を利用するのではなく、つねにイエスさまの十字架と復活によって、律法をはじめすべてのものを理解していくということが必要となって来ます。そうでないと「はるかにすぐれた奉仕を得ておられ」るイエスさまがおられるのに、そのイエスさまよりも自分のほうがはるかにすぐれた奉仕を得ているかのような生き方になってしまうでしょう。まさにイエスさまの時代のパリサイ人のようになってしまうのです