贖いを待ち望んでいたすべての人に

静まりの時 2022年12月03日(土)
ルカ2・36~38

36 また、アシェル族のペヌエルの娘で、アンナという女預言者がいた。この人は非常に年をとっていた。処女の時代の後、七年間夫とともに暮らしたが、
37 やもめとなり、八十四歳になっていた。彼女は宮を離れず、断食と祈りをもって、夜も昼も神に仕えていた。
38 ちょうどそのとき彼女も近寄って来て、神に感謝をささげ、エルサレムの贖いを待ち望んでいたすべての人に、この幼子のことを語った。
(ルカ2・36~38)

 アンナ、旧約聖書ではハンナでしょうか。非常に年を取っていたと紹介されています。その生涯のほとんどを一人で過ごすことになった、とのこと。その人生の慰めと励ましは、神さまへの礼拝にありました。「彼女は宮を離れず、断食と祈りをもって、夜も昼も神に仕えていた」。女預言者とは、神さまの言葉を伝えるためにその生涯をささげた、ということでしょう。
 ヨセフとマリアが「モーセの律法による彼らのきよめの期間」(22)が満ちたときに、彼らは幼子イエスさまをエルサレムに連れて行きました。その時、シメオンという人物が幼子イエスさまを腕に抱き神さまをほめたたえました。このアンナも、幼子イエスさまを見つけ、近寄って来て、神さまに感謝をささげました。またこの幼子のことを「エルサレムの贖いを待ち望んでいたすべての人に」語りました。

 ここに待ち望む人たちの姿があります。シメオン、アンナ、そしてエルサレムの贖いを待ち望んでいた人たち。クリスマスの出来事は、待ち望む人たちであふれています。ザカリヤ、エリサベツ、マリア、ヨセフも待ち望む人たちでした。私たちは待ち望む人でしょうか。

 ヘンリ・ナウエンは、待ち望むということは、積極的なことである、と語ります。遅れているバスをぼーっと待っているというような受身的なものではなく、「種は蒔かれており、そこに何ごとかが始まっていると信じること」であると語ります。また待ち望む人は忍耐の人であるといいます。今あるところにあえて留まろうとする人だと言います。
 さらに待ち望むことは「結果に対して開かれた態度をもつこと」である、とも語ります。「ザカリア、エリザベト、マリア、シメオン、アンナは、『願望』で満たされていたのではありません。彼らは『希望』に満たされていました」と語るのです。「願望を手放し、希望を抱くこと」は「自分の将来を操作しようとすることを手放し、自分の人生を神に決めていただくこと」それは「私たちの抱く恐れによって生きるのではなく、神は、ご自身の愛によって私たちを形造ってくださるという確信をもって生きること」であると言いました。

「霊的生活とは、待ち望みつつ生きることであり、積極的にこの瞬間に留まることです。何かしら新しいこと、すなわち、自分の抱く想像や予想をはるかに超えたものが、私たちの身の上に起こることを期待することです。それはまさに、何でも意のままに操作しようとするこの世の生き方とは、根本的に異なる立場に立つものです。」
(ヘンリー・ナウエン、『待ち望むということ』、あめんどう、より。他引用は同書より)

 今日は備えの日です。明日の主の日にむかってよい備えの一日となりますように。今朝のNHK「ビバ!合唱」では、ヘンデルの「メサイア」の中から数曲を放送していました。全曲を聞くのには時間が必要ですが、久しぶりに全曲を聞いてみたいと思いました。英国では年末によく聞かれると説明がありました。