静まりの時 2022年11月18日(金)
第二ペテロ3・1~13
主は、ある人たちが遅れていると思っているように、約束したことを遅らせているのではなく、あなたがたに対して忍耐しておられるのです。だれも滅びることがなく、すべての人が悔い改めに進むことを望んでおられるのです。
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しかし私たちは、神の約束にしたがって、義の宿る新しい天と新しい地を待ち望んでいます。
(第二ペテロ3・9,13)
苦しみの中にある初代教会。しかし彼らは絶望せず忍耐しています。彼らは主の再臨の日を待ち望みつつ今の時を忍耐しています。新しい天と新しい地を待ち望みつつ忍耐しています。
新しい天と新しい地。それは約束の地であり、また神さまの完全なご支配の中にある天の御国のことでしょう。やがてそのような時がやって来ることを信じて待ち望んでいます。それが今の時の忍耐を生み出しています。
我慢することと忍耐することとは別のことです。我慢は、我を慢心させると書きますが、どこまでも自己中心です。しかし忍耐は、希望に裏付けられています。神さまのご支配の中にすべてを委ねています。そこには愛があります。
再臨が遅れていることは、神さまが「だれも滅びることがなく、すべての人が悔い改めに進むことを望んでおられる」からであるといいます。そしてそのために「あなたがたに対して忍耐しておられる」といいます。悔い改めない人びとに対して忍耐しているのではなく「あなたがた」に忍耐している、というのです。
全ての人が悔い改めるのを望み、すでに悔い改めている人たちを忍耐している。それはすでに悔い改めている者たちの伝道の力に期待しておられる、ということでしょう。あの悔い改めていない人が悔い改めに導かれるように、あなたにに期待しているよ、と語っていて下さるように思えます。
私には伝道する力も知恵もありませんが、神さまの御熱心があることを信じています。全ての人が「義の宿る新しい天と新しい地」に与ることができるようにと、祈りつつ待ち望みたいと思います。