「あなたの隣人を自分自身のように愛しなさい」という最高の律法を守るなら、あなたがたの行いは立派です

静まりの時 2022年9月13日(火)
ヤコブ2・1~9

「1 私の兄弟たち。あなたがたは、私たちの主、栄光のイエス・キリストへの信仰を持っていながら、人をえこひいきすることがあってはなりません。
2 あなたがたの集会に、金の指輪をはめた立派な身なりの人が入って来て、また、みすぼらしい身なりの貧しい人も入って来たとします。
3 あなたがたは、立派な身なりをした人に目を留めて、『あなたはこちらの良い席にお座りください』と言い、貧しい人には、『あなたは立っていなさい。でなければ、そこに、私の足もとに座りなさい』と言うなら、
4 自分たちの間で差別をし、悪い考えでさばく者となったのではありませんか。
5 私の愛する兄弟たち、よく聞きなさい。神は、この世の貧しい人たちを選んで信仰に富む者とし、神を愛する者に約束された御国を受け継ぐ者とされたではありませんか。
6 それなのに、あなたがたは貧しい人を辱めたのです。あなたがたを虐げるのは富んでいる人たちではありませんか。また、あなたがたを裁判所に引いて行くのも彼らではありませんか。
7 あなたがたがその名で呼ばれている尊い御名を汚すのも、彼らではありませんか。
8 もし本当に、あなたがたが聖書にしたがって、『あなたの隣人を自分自身のように愛しなさい』という最高の律法を守るなら、あなたがたの行いは立派です。
9 しかし、もし人をえこひいきするなら、あなたがたは罪を犯しており、律法によって違反者として責められます。」
(ヤコブ2・1~9、新改訳2017)

 ヤコブが書き送ることになった教会の中に「えこひいき」があった、ということでしょう。初代教会はすばらしい教会であって、それ以降教会は堕落の一歩をたどることになった、というのは、初代教会への幻想が生み出した誤解です。さまざまな問題を抱えていた、というのが初代教会の実情でした。ここでは、えこひいきや差別が存在していたというのです。初代教会だけではなく、二千年の教会の歴史を見れば、特に権力と結びつくようになってからは問題も複雑化したのだと思います。人種、献金の額や社会的な身分によって座る席が違っていたというのですから驚きます。きっと私たちもその文化や歴史の実情の中にあれば特に違和感を持たず同じことをしていたことでしょう。
 とすると、このヤコブの手紙に記されているこの言葉は、かなり先進的人権感覚があったことを記しているように思えてきます。
 ここに登場する「えこひいき」「差別」ということばは、別の単語ですが、それぞれ語源には「分け隔てする、分ける」という意味があるようです。
 地域の人権グループの事務局長をしていたことがあります。年間数回の集会を開催することが主な役割でしたが、地域の人たちと小旅行にも出かけたりして楽しい役割でした。自ずとさまざまな差別問題を学ぶことになりました。同和問題、ジェンダー、障碍者、外国人などなど。課題はさまざまにあり、学ぶごとに自分の人権感覚の未熟さを思い知らされたことでした。
 差別されるというのは、簡単にいうと、損をすることだ、とある書物に書かれていました。損の中にはいろいろありますが、明確なことは経済です。経済的に損をする、それが差別されることの問題である、というのです。たとえば外国からたくさんの就労者が来日しておられますが、言葉の壁、文化の壁によって損をされる場面はたくさんあります。それを少しでも埋めるために、つまり損を無くすために、言葉の壁や文化の壁を越える、あるいは互いに理解するということが必要となって来ます。そのためには、まずどこの国から来られたのか、その国にはどのような文化があるのか、禁忌があるのかを学ばなければなりません。学ぶためにはそれらを明確化しなければなりません。この人は何々人です、どこどこの国から来られました。このようなことは苦手です。このようなことは得意です、ということが明確にされなければならないでしょう。学ぶということは大切なことなのです。
 少しでも差別の壁がなくなることを願いつつ労する方々がたくさんおられることはすばらしいことだと思ます。
 教会はそのような壁を無くするところである、ということでしょう。あるいは社会の中にあって、壁を無くすためにリーダーシップを発揮するところが教会である、と言えるかもしれません。それが「あなたの隣人を自分自身のように愛しなさい」のみことばに生きることであり立派な行いに生きる道だというのです。

 「立派」は、カロースということばですが、この語源のカロスは、美しい、ということばです。信仰が美しい。あるいは真実の信仰に生きる姿、愛に生きる姿には美しさがある、ということでしょう。