しもべは、あなたが選んだあなたの民の中にいます

静まりの時 2022年9月3日(土)
第一列王記3・4~14

「『・・・そのうえ、しもべは、あなたが選んだあなたの民の中にいます。あまりにも多くて、数えることも調べることもできないほど大勢の民です。善悪を判断してあなたの民をさばくために、聞き分ける心をしもべに与えてください。さもなければ、だれに、この大勢のあなたの民をさばくことができるでしょうか。』
 これは主のみこころにかなった。ソロモンがこのことを願ったからである。」
(第一列王記3・8~10、新改訳2017)

 王となったソロモンに神さまは夢でお出会いくださいました。神さまはソロモンに語られました。「願い事があれば言いなさい。かなえてあげよう」。ソロモンは、自らの長寿や富、敵のいのちを願わず、ただ「正しい訴えを聞き分ける判断力」を願いました。
 このことは「主のみこころになかった」と聖書は語ります。新共同訳では「主はソロモンのこの願いをお喜びになった」と訳されています。主はソロモンの祈りと願いを喜んでくださったのです。私たちの祈りや願いも、主が喜んでくださるものでありたいと思います。
 ソロモンは偉大な王ダビデの後継として王となりました。不安だったのだと思います。ソロモンは自らの姿をこのように語っています。

「そのうえ、しもべは、あなたの選んだあなたの民の中にいます」。

共同訳2018では、

「僕はあなたがお選びになった民の中の一人ですが・・・」。

 自らが神の民の中の一人であると神さまの前に告白しています。それは自らがそのような存在であることを見失っていないということでしょう。人間は権力を手にすると、「なにものか」になってしまう、自らが民の一人であることを忘れてしまうことが多いのではないでしょうか。神のようになろうとした、あるいはなってしまった王は数えきれません。牧師も同じです。むかし指導してくださった宣教師が、「私も信徒の一人ですからね」と言われたことを思いだします。ソロモンは、王になってなお自らが神の民ひとりであることを見失わないのです。

 ソロモンは自らが治めることになるイスラエルの民のことを、ここで終始「あなたの民」と語っています。イスラエルの民は、神さまの民である、ということを見失っていないということでしょう。自らが神の民の一人であること、またともに生きる人びとが神の民であること。神さまの喜ばれる祈りと願いは、この二つの視点から生まれているのではないでしょうか。
 逆に「自分の」という視点は、そうではない祈りに終始してしまうということでしょう。自分の人生、自分の家族、自分の教会、自分の職場、などなど。それは責任感ということでいうと良いことなのかもしれません。しかし私という存在は、すべてに限界のある、明日のことも知らない人間です。「自分の」ということが、たとえ責任感からのものであったとしても、最終的に完全な責任を果たすことなどできないのですから、いつも神さまの御手の中にゆだねていなければうまく行くはずがありません。
 「神さまの」という視点こそ、神さまに喜ばれる願いに生きる道をひらく、のです。神さまの家族、神さまの教会、神さまの職場、などなど。さらには自分の人生さえも、神さまの御手の中にあるとゆだねていく。神さまが始めてくださった人生なのですから、神さまの御手の中においておくことが一番確かです。