静まりの時 2022年8月25日(木)
ヘブル10・32~36
「あなたがたが神のみこころを行って、約束のものを手に入れるために必要なのは、忍耐です。・・・私たちは、恐れ退いて滅びる者ではなく、信じていのちを保つ者です。」
(ヘブル10・36~39、新改訳2017)
神さまによって「約束されたもの」がすでにあって、それを手に入れるように信仰者は招かれています。その約束のものを手に入れるために、手段を選ばない、というのではなく、私たちは神さまのみこころを行うことによって手に入れるように招かれています。
そのために必要なものは「忍耐」である、とヘブル書は語ります。
「忍耐」。語源となっている「ヒュポメノー」という言葉は、逃げ出さずに留まる、残留する、という意味を持っています。忍耐というのは、苦しみの中にとどまり続ける、ということなのでしょう。
信仰者は「恐れ退いて滅びる者」ではありません。「信じていのちを保つ者」です。信じていのちを保つ者だからこそ、忍耐に生きることができるのです。
最新の『百万人の福音』誌に「ネガティブ・ケイパビリティ―」ということが取り上げられていました。それで、帚木蓬生という精神科医で小説家の方が書かれた『ネガティブ・ケイパビリティ』という本を図書館で借りて読み始めました。この本のサブタイトルに「答えの出ない事態に耐える力」とあります。理論の説明として詩人キーツの文章が引用されています。
「ネガティブ・ケイパビリティ、短気に事実や理由を求めることなく、不確かさや、不可解なことや、疑惑ある状態の中に人が留まることが出来る時に見出されるものである。」
そして、このネガティブ・ケイパビリティが、共に生きる人びとの中にあって「共感する」ことを生み出す、とのこと。
一刻も早く白黒をはっきりつけなければならないとの焦りは、忍耐とは対極にある心だと思いますが、携帯電話やスマートフォン、インターネットの時代に生きる私たちは、このような忍耐とは対極にある心になりがちなのだと思います。それでは共感力も寛容力も生み出すことができないということでしょう。
私たちは滅びるものではなく、いのちを得るものなのですから、忍耐に生きることが可能なのです。