あなたがたの心が元気を失い、疲れ果ててしまわないように

静まりの時 2022年8月26日(金)
ヘブル12・1~1

「あなたがたは、罪人たちの、ご自分に対するこのような反抗を耐え忍ばれた方のことを考えなさい。あなたがたの心が元気を失い、疲れ果ててしまわないようにするためです。
・・・
すべての訓練は、そのときは喜ばしいものではなく、かえって苦しく思われるものですが、後になると、これによって鍛えられた人々に、義という平安の実を結ばせます。」
(ヘブル12・3、11、新改訳2017)

 苦しみに出会うと、私たちは「心が元気を失い、疲れ果てて」しまいます。聖書はそのことをよく知っています。私たちはそのように神さまによって造られたからです。苦しみに出会って、心が元気を失い、疲れ果ててしまうのは、人間だからであって、それ自体が悪ということではないでしょう。しかし疲れ果ててしまって生きる力を失ってしまうとすれば、それは神さまのみこころとはいえないでしょう。
 神さまは、私たちに「義という平安の実」を結ばせようとしておられるのです。神さまを信じることがなければ決して結ぶことのできなかった「義という平安の実」が、私の人生に結ばれていくのです。そのために、私たちに必要なことは忍耐です。
 ただ忍耐しなさい、といわれてもなかなか難しいのですが、私たちにはイエスさまがともにいてくださいます。イエスさまは「罪人たちの、ご自分に対するこのような反抗を耐え忍ばれた方」です。「このような反抗」、すなわち十字架を忍ばれたイエスさまのことを考える、それが私たちに忍耐を与えるのです。そうして、私たちは、心が元気を失い、疲れ果ててしまうことから守られるのです。私たちがどうしてもしなければならないことは、十字架のイエスさまを見上げるということです。

 この「考えなさい」(3)という言葉ですが、原文ギリシャ語では、考える、勘定する、計算するという意味を持っている言葉です。苦しみに出会うとき、イエスさまのことを「勘定に入れる」のです。信仰の創始者であり完成者、辱めをものともせずに十字架を忍ばれた方、父なる神さまの右の座に着座された方。このイエスさまが、世の終わりまでともにいると約束して下さいました。私たちはあらゆる状況の中にあって、このお方のことを「考えること」「勘定に入れること」ができるのです。喜びと感謝をもって今日も健やかに一日を過ごしたいと思います。今日もイエスさまはどのようなことをなしてくださるでしょうか。

 夏も少しづつ終わりに近づいているようです。昨夜は暑さから解放され感謝でした。

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 ガスの管理のために本部の施設を訪ねると、百合が花をつけていました。誰に見られるためでもなく、ただ一心に咲いている花は美しいものですね。