最後に、息子を彼らのところに遣わした

静まりの時 2022年3月27日(日)
マルコ12・1~11

「しかし、主人にはもう一人、愛する息子がいた。彼は『私の息子なら敬ってくれるだろう』と言って、最後に、息子を彼らのところに遣わした。」

(マルコ12・6)

 ぶどう園の主人は、ぶどう園を整えて農夫たちに預けました。農夫たちはその整えられたぶどう園を管理させていただきました。収穫の時が来ました。主人は収穫の一部を受け取るためにしもべを遣わしました。すると農夫たちはそのしもべをことごとく袋叩きにしたり殺したりしてしまいました。
 主人は「収穫の一部を受け取るために」しもべを遣わしたといいます。つまり全部を受け取るためではなかったのです。残りは農夫たちにプレゼントするためだったのでしょう。しかし農夫たちは、主人への邪推からか、遣わされたしもべを殺してしまったのです。
 そんな農夫たちのところにこの主人は「私の息子なら敬ってくれるだろう」と言って息子を遣わしました。なんということでしょう。遣わしたしもべたちがことごとくひどい目にあわされているのです。どうして「私の息子なら敬ってくれるだろう」などと考えるのでしょうか。人を疑うことを知らない、と言いますか、どこまでも人の善意に信頼する姿があります。そしてそれこそまことの神さまの姿であると聖書は語るのでしょう。
 この遣わされた息子は、イエスさまのことをたとえているのでしょう。神が人となられたクリスマスの出来事には、どこまでも人への善意に満ちた神さまのお姿が現れているのです。