万物の存在の目的であり、また原因でもある方として、ふさわしいこと

静まりの時 2022年2月19日(土)
ヘブル2・10~18

「神が多くの子たちを栄光に導くのに、彼らの救いの創始者を、多くの苦しみを通して全うされたということは、万物の存在の目的であり、また原因でもある方として、ふさわしいことであったのです。・・・主は、ご自身が試みを受けて苦しまれたので、試みられている者たちを助けることがおできになるのです。」(ヘブル2・10,18、新改訳2017)

 神さまにとってふさわしいこと。まことに神さまらしいこと。それは私たちを栄光に導くために自らが「多くの苦しみを通して全うされた」ということ。主イエスさまの十字架の出来事は、神さまとしてまさにふさわしいことであった、というのです。十字架は、失敗どころか、まさに神さまが神さまらしい振る舞いをしてくださった最大のことである、もし十字架がなければ、それはまことの神さまらしくないことだ、というのです。
 この十字架において、神さまご自身が試みを受け、苦しみを受けられたので、試みを受ける私たちを助けることができる。本当に助けることができる。もし十字架の出来事がなければ、神さまは私たちを助けることができないのだ、というのです。
 試みの中、苦しみの中に私たちがあるとき、その私たちを助けるのは、十字架の主御自身である、主は必ず私たちを助けることができる。それは十字架を経験なさったからである、と聖書は語ります。

「聖とする方も、聖とされる者たちも、すべて元は一つです。それで、主は彼らを兄弟と呼ぶことを恥としないで、こう言われます。『わたしは御名を、わたしの兄弟たちに告げよう。教会の中で、わたしはあなたを賛美しよう。・・・」(ヘブル2・11,12、新改訳2017)

 まことの神である主イエスさまが、父なる神さまとの仲保者となって、私たちとともにいてくださる、そうして私たちのことを「兄弟」と呼んでくださる。ある先生は、イエスさまは私たちをファーストネームで呼び合う関係に招き入れてくださったのだ、といわれました。苦しみにあうとき、私たちの名前を呼び、私はあなたとともにいると語りかけてくださるお方なのです。

 昨日は、道路も駐車場も雪景色で明けた朝でしたが、昼前には融けて青空が広がりました。真冬に逆戻りという感じでしたが、ひとたび太陽が輝くと雪の融ける速度には春の力を感じます。今日は二十四節季では「雨水」というそうです。雪から雨に、氷から水に景色が変わる時期ということですが、まだまだ寒いですね。この日にひな人形を飾ると良縁に恵まれるとか・・・。キリスト者がこんなことを言ってはいけないですね(笑)。主にある者は、いつも良縁、豊かな交わりの中に生かされています。それはさておき五個荘の近江商人屋敷では今年もすてきなひな人形が飾られているそうです。今回も所縁のお宅のひな人形も飾られているでしょうか。お内裏様とお雛様だけではなく、牛車やさまざまな情景までの壮大なジオラマでしたが。
 今日は備えの日。幾人もの方が明日の主の日の準備にご来会くださいます。ご奉仕に感謝します。午後はオンラインでのセミナーがあります。