静まりの時 2021年10月25日(月)
昨日は主の日で、礼拝の日でした。来会される兄弟姉妹にお出会いすると励ましをいただけます。感謝です。心(ハート)と心臓(ハート)は一つで、テーブルの上に乗っているビー玉のようなものです。何もなければじっとしているのですが、そよ風が吹いたり、テーブルにかすかな振動があると、動き始めてしまうのです。
気温の変化もその要因の一つですね。気温が下がると血圧が高めに出ます。病気になって計測するようになり、そのようなことも新しい発見です。心臓の負担を軽くするために足、とくにふくらはぎの鍛錬は大切なのですが、病気で少し細くなった感じがします。
午後に妻が教会学校の押入を整理するというので、その横で読書、夕刻はいつもの通りウォーキングに出かけました。一日の昼間の時間が短くなりました。日没が17時過ぎぐらいになっているのでしょうか。暗闇を歩くことを避けようとするので、ウォーキングに出かける時間が次第に早くなります。療養中ということでこんな時間の過ごし方をゆるしていただいていますが、少し気が引けます。
大河ドラマ『青天を衝け』で、西洋の簿記を導入する場面があり、そろばんの有効性の場面がありました。私は商売家で育ったことからか、小学校低学年からそろばん塾に行かされていました。そのころの「はやり」だったのかもしれません。どうすればさぼることができるだろうかと思いつつ通っていたので、いいかげんなことでした。とりあえず6年生で2級を取得して辞めさせていただきました(笑)。いまはもうすっかりできなくなっていると思いますが、時折、暗算で重宝することがあります。よくまあ、こんな計算の道具を開発したものですね。
今朝もいつも通り健やかに朝を迎えました。心不全が悪化すると、寝ているのがしんどくなるそうです。わたしも少しそんな感じがあるのですが、体を起こすとさわやかさになります。きっと、お医者さんにいうと、気のせいですよ、といわれる範囲でしょう。妻にいうと、生きて一所懸命動いている心筋細胞が、壊死して動かなくなった心筋細胞が横にいることを訴えているのとちゃうか、とのんきなことをいってくれました。
今年に入って始めたデボーションテキストの『いこいの水のほとりにて』で、今朝の個所に記されていた聖句は第一テモテ6章12節でした。
「信仰の戦いを立派に戦い抜き、永遠の命を手に入れなさい。命を得るために、あなたは神から召され、多くの証人の前で立派に信仰を表明したのです。」(新共同訳)
(テモテへの手紙第1 6章12節)
「永遠の命を手に入れなさい」とパウロは語ります。そしてその「命を得るために、あなたは神から召され、多くの証人の前で立派に信仰を表明した」と語りました。
主イエスさまを救い主と信じ、私の心の王座にお迎えしたときから、永遠の命をいただきました。あるいはその約束をいただきました。その約束は神さまがして下さった約束なので、決して変わることがありません。しかしそれと当時に「永遠の命を手に入れなさい」とパウロは語ります。論理的には矛盾しているようですが、これは勝利の日と戦後処理が完了する日との時間的なずれ、で説明されるのだと思います。
主イエスさまが十字架に架かり復活された二千年まえの出来事によって、完全な勝利宣言がなされました。しかしこの地上に生きる私たちにはなお戦いがあります。戦争にたとえると、完全な勝利が行き届いていない地域があって、そこでは今だ戦いがあるということです。戦争は終わりました、との情報が伝わり、その情報を信じ、それにしたがって新しい生活がはじまる、新しい法律のもと、インフラも整っていく、社会保障も前進していくということには、時間が必要である、あるいはそれを神さまは、いっしょにやろう!と声をかけていてくださる、そんな「時」を過ごしていくのです。それはまた新しい戦いです。その戦いは勝つか負けるか分からない戦いではありません。勝利は約束されています。勝つことが明らかである、そんな戦いを戦って、永遠の命をいただくのです。何にもしないでいただくのもうれしいですが、神さまといっしょに人生を労苦していただく「永遠の命」はまた格別なのではないでしょうか。
今日は、昨日とうって変わって雨の一日のようですね。母の買い物の付き合いに行く予定ですが、重ねて診察もあるということで妻と出かけます。素敵な一日でありますように。
紅茶に、いただいたスダチ(かぼす、ゆず?)のしぼり汁を入れると、とたんに明るい色になります。