主はあなたに平和を与えることのできるお方

静まりの時 2021年10月19日(火)

「どうか、平和の主御自身が、いついかなる場合にも、あなたがたに平和をお与えくださるように。主があなたがた一同と共におられるように。」(新共同訳)

(テサロニケの信徒への手紙第2 3章16節)

主の死を瞑想することによって、あなたの魂に平和が与えられるようにと祈ります。
・・・
主はあなたに平和を与えることのできるお方です。

C・H・スポルジョン、『いこいの水のほとりにて』、412頁f

「平和をお与えくださるように」。シャローム。「主があなたがた一同と共におられるように」。ゴッド・ビー・ウイズ・ユー。グッドバイ。
手紙の最後に、パウロは別れの挨拶を記します。
この平和と祝福に満ちた別れの挨拶の直前に記されていることばは、これとは対照的に緊張を生み出すようなことばです。

「もし、この手紙でわたしたちの言うことに従わない者がいれば、その者には特に気をつけて、かかわりを持たないようにしなさい。そうすれば、彼は恥じ入るでしょう。しかし、その人を敵とは見なさず、兄弟として警告しなさい。」(14,15)

「わたしたちの言うことに従わない者」。おそらく異端的な教理に生きる人たちのことと推測されますが、その内容は、急進的な終末思想によって落ち着いた生活をしなくなった人たちということかもしれません(2章2節、3章11,12節ほか)。
そのような人たちのことを決して切り捨てるのではなく、しかし同時に自分自身の力の限界をわきまえて惑わされないようにそのような人たちと距離を取りつつ信仰生活を送るようにとパウロは語っているようです。
そういう信仰の戦いといってもよいような状況の中にあるテサロニケの信徒に対して「平和の主御自身が、いついかなる場合にも、あなたがたに平和をお与えくださるように」とパウロは語りました。
「平和」とは、自分で生み出すものというよりも与えられるもの、そしてそれはいついかなる場合でも与えられるもの、そして何よりも平和は主が与えてくださるもの、です。
主が与えてくださるものなのですから、私たちは主が与えてくださることを待ち望みます。どんな時でも、どんな状況の中にあっても、主は私たちに平和を与えてくださいます。平和の材料が何一つ見つからないときでさえ、あるいはそういう状況だからこそ、主は平和を与えてくださいます。
私たちにできることは十字架の主を見上げつつ待ち望むことです。

昨日から夕刻のウォーキングの距離を少し増やすことにしました。日没が早くなってきて、暗闇を歩くことに自信がないので、歩き始める時間も早くしました。少し草むらのようなところを通ったのですが、妻のズボンが引っ付き虫だらけになっていました(笑)。
今朝のNHK・FM「古楽の楽しみ」では「18世紀前半のウィーンの音楽」としてミサ曲を放送しています。「キリエ」(主よ、あわれみたまえ)、「サンクトゥス」(聖なるかな)、「アニュス・デイ」(神の小羊)そして「スターバト・マーテル」(悲しみの聖母)。
この「スターバト・マーテル」は、スターバト・マーテル・ドロローサ・・・と歌われるのですが、ドロローサが「悲しみ」で、スターバトは「立つ」、マーテルは「母」。スターバト・マーテルは「立ちつくす母」みたいな意味ですね。
これはラテン語ですが、ギリシャ語でもよく似ていて「母」は「メーテル」といいます。銀河鉄道999に登場する「メーテル」というのはギリシャ語で母という意味なのです。ちなみメトロポリス、メトロポリタン、ということばは、メーテル(母)+ポリス(都市)ということで、文化などを母のように生み出した、あるいはその中心的な都市ということになります。どうでもよい話ですが(笑)。

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母が道端に落ちていたイチジクの木の枝をひらって来て、それが枯れずに成長して、さらにそれを分けたものをくれ、妻が鉢植えにしました。まさか実をつけるとは思っていなかったということでしたが、この秋1個だけ実をつけてちょうどよい具合に色づき熟しました。昨日、食しました。ありがとう!

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