苦難はしばしば私たちに真理を示し、その真理へと向かわせます

苦難はしばしば私たちに真理を示し、その真理へと向かわせます。そして、人生のさまざまな経験が閉ざされた真理の扉を開いてくれるのです。聖書の御言葉は注解書だけでは決して明らかにされることはありません。・・・御言葉の多くはそれらを見えるようにするために、逆境という火であぶり出されなければ読むことのできない秘密のインクで書かれています。・・・私たちが受ける苦難は、それが聖霊によって聖とされるとき、主の誠実さを体験することによって、むしろ神に対して大いなる栄光を帰することになります。

C・H・スポルジョン、『いこいの水のほとりにて』、84頁f

2021年2月23日(火)

苦難の意味は聖書によって新しい意味が発見される、そして聖書は苦難の経験によってより深く、その真理を知ることができる、といいます。

受肉、ということばがあります。肉を受けると書きますが、神さまが人となってくださったこと、それを受肉と言います。神さまは主イエスさまにおいて受肉されたのです。

そしてこの受肉という言葉は、様々な場面でも用いられるようになります。私たちの人生に、聖書の言葉が受肉する、というような言い方をしますと、文字である聖書の言葉が、私の人生、私の生きざまにおいて目に見えるものとなった、ということです。

聖書の言葉が、私の人生に受肉していくために、苦難があり、また苦難が私の人生に受肉していくために、聖書の言葉がある、ということでしょう。

「捕われの身となって足枷をはめられ 苦悩の縄に縛られている人があれば」(ヨブ記36・8)