ほかの人たち

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聖霊は、その中に御自身を注ぎ入れたいと思う容器を求めて、あちらこちら見まわされる。そしてこのエルサレムで、聖霊は空の容器を見出されるだけでなく、そのほかに充満した容器をも見出される。すなわち貧しくもなく空でもなく、むしろ自分の義と善とに充満し自分の経験深さに充満した容器をも見出される。それゆえに、このエルサレムには、「ほかの人たちはあざ笑って、『あの人たちは新しい酒で酔っているのだ』と言った」と、ここに記されているような、「ほかの人たち」がいたのである。

リュティ、『この日言葉をかの日に伝え』、198ページ
行伝2章13節
2012年06月07日(木)

聖霊に満たされるためには、空っぽであるということが、どうしても必要なことなのです。

神さまは全能のお方ですから、私たちに、ご自身の望むままに聖霊を注ぐことができますが、しかし強制的になさるお方ではありません。私たちの義や善、経験深さ、そのほか様々なもので一杯になっているよ「容器」には注ぐことができないのです。

そすると自分自身の足りなさを発見すればするほど神さまに満たしていただける可能性が出て来ることになります。自分の足りなさを発見しましょう。そして神さまに満たしていただけることを期待しましょう。

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