月: 2026年7月

  • 各部分が互いのために、同じように配慮し合うためです

    静まりの時

    • テーマ:教会の一致
    • 聖書箇所:第一コリント12・12~27
    • 日付:2026年07月07日(火)

    24 格好の良い部分はその必要がありません。神は、劣ったところには、見栄えをよくするものを与えて、からだを組み合わせられました。
    25 それは、からだの中に分裂がなく、各部分が互いのために、同じように配慮し合うためです。
    26 一つの部分が苦しめば、すべての部分がともに苦しみ、一つの部分が尊ばれれば、すべての部分がともに喜ぶのです。

    教会はキリストのからだです。からだですから一つです。各部分には違いがあります。あるいは違いがなくてはなりません。しかしその違いあるものが組み合わさって一つになっています。それがからだです。教会が一つである、ということは、違いをもったまま、違いを大切にしたままに、一つに組み合わされからだを形成することです。それが教会の一致です。

    教会は一つですが、エントロピーが常に増大するように、常に分裂の危機を抱えています。教会は一つになるように努力しなければなりません。分裂しようとする誘惑に抗わなければなりません。

    一つになるために、神さまは、劣ったところの見栄えをよくするものを与えてくださいました。そうしてからだを組み合わせられたのです。劣ったところがなく、すべて恰好の良い部分ばかりであれば、分裂を止められません。しかし劣ったところがあるので、それを補おう、配慮し合おうとするのです。劣っている、弱い、足りない、ということはなくてはならない大切なものです。

    一つの部分が苦しむと、教会においては、それは一つの部分だけの問題ではありません。すべての部分がともに苦しむのです。だからこそ、一つの部分が尊ばれれば、すべての部分がともに喜びます。教会は個人主義ではありません。共同体主義です。主に結びつくことがキリスト教信仰ですから、キリストを信じる、ということと、一つになる、ということは一つです。ですから、一つになるということを唯一学ぶことの出来る教会は、キリスト教信仰においてはなくてはならない存在です。教会のないキリスト教はもはやキリスト教ではありません。