静まりの時
- テーマ:教会の一致
- 聖書箇所:エゼキエル37・24~28
- 日付:2026年07月08日(水)
24 わたしのしもべダビデが彼らの王となり、彼ら全体のただ一人の牧者となる。彼らはわたしの定めに従って歩み、わたしの掟を守り行う。
25 彼らは、わたしがわたしのしもべヤコブに与え、あなたがたの先祖が住んだ地に住むようになる。そこには彼らとその子らとその子孫たちが、とこしえに住み、わたしのしもべダビデが永遠に彼らの君主となる。
26 わたしは彼らと平和の契約を結ぶ。これは彼らとの永遠の契約となる。わたしはそれを彼らに与え、彼らを増やし、わたしの聖所を彼らのうちに永遠に置く。
27 わたしの住まいは彼らとともにあり、わたしは彼らの神となり、彼らはわたしの民となる。
28 わたしの聖所が永遠に彼らのうちにあるとき、諸国の民は、わたしがイスラエルを聖なる者とする主であることを知る。』」
「ダビデが永遠に彼らの君主となる」。このときダビデはすでに故人、あるいは歴史上の人物ですから、象徴的な意味であることは明らかです。「しもべダビデ」と「しもべヤコブ」を新約聖書、新しい契約に生きる私たちは、それぞれ、主イエス、教会、と置き換えて読むことになります。
教会が、主のみこころに歩み、主を住まいとするならば、常に主はともにいてくださる。そうして大いなる祝福の道を歩むことになる。主の聖所が永遠に教会のうちにあるとき、全世界は、主が教会の聖なる主であることを知る。
教会が教会であるためには、そこに主が、そして主の聖所が存在していなければならない。主の聖所とはいったい何か。それは罪の赦しのいけにえが献げられるところであり、神さまとお出会いする場所です。教会が赦しの福音を語り続け、主との出会いの場所として存在し続けるならば、全世界は主の栄光を見るのです。ハレルヤ。