見よ。わたしはそこの一人のやもめに命じて、あなたを養うようにしている

静まりの時 第一列王記17・8~16
日付:2023年11月18日(土)

8 すると、彼に次のような主のことばがあった。
9 「さあ、シドンのツァレファテに行き、そこに住め。見よ。わたしはそこの一人のやもめに命じて、あなたを養うようにしている。」

 飢饉の預言をしたエリヤ(1)。エリヤ自身もその飢饉の中で苦しみますが、神さまは烏やケリテ川によってエリヤを養われました。しかしそれもしばらくすると途絶えます。神さまはエリヤが養われる次の道を用意してくださいました。それが「ツァレファテの一人のやもめ」でした。
 神さまが養ってくださるのですから、どんなに裕福な存在であろうか、と想像しますが、神さまが用意してくださったのは、一人のやもめでした。
 やもめというのは何らかの理由で夫を失った女性のことです。現代も女性が一人で生きていくのは簡単なことではありません。2千年以上まえのパレスティナではどうだったでしょう。おそらくかなり過酷な状況だったのではないかと想像します。

10 彼はツァレファテへ出て行った。その町の門に着くと、ちょうどそこに、薪を拾い集めている一人のやもめがいた。そこで、エリヤは彼女に声をかけて言った。「水差しにほんの少しの水を持って来て、私に飲ませてください。」
11 彼女が取りに行こうとすると、エリヤは彼女を呼んで言った。「一口のパンも持って来てください。」
12 彼女は答えた。「あなたの神、主は生きておられます。私には焼いたパンはありません。ただ、かめの中に一握りの粉と、壺の中にほんの少しの油があるだけです。ご覧のとおり、二、三本の薪を集め、帰って行って、私と息子のためにそれを調理し、それを食べて死のうとしているのです。」

 エリヤは神さまのおことばにしたがって目的の町に出て行きます。ちょうどそこに「薪を拾い集めている一人のやもめ」がいました。見るからに貧しさがにじみ出ているような人物です。しかしエリヤは神さまのおことばに従って、その女性に水とパンを求めます。
 案の定、女性の答えは、極度の貧しさの中にあることを明らかにするものでした。

 「死のうとしているのです」。単に貧しさの中にあるだけではなく、人生そのものに絶望しています。生きる希望を失っている女性でした。飢饉の中、エリヤを養うために神さまが用意された存在は、極度の貧しさの中にあって人生に絶望している一人の女性、だったのです。

13 エリヤは彼女に言った。「恐れてはいけません。行って、あなたが言ったようにしなさい。しかし、まず私のためにそれで小さなパン菓子を作り、私のところに持って来なさい。その後で、あなたとあなたの子どものために作りなさい。
14 イスラエルの神、主が、こう言われるからです。『主が地の上に雨を降らせる日まで、そのかめの粉は尽きず、その壺の油はなくならない。』」
15 彼女は行って、エリヤのことばのとおりにした。彼女と彼、および彼女の家族も、長い間それを食べた。
16 エリヤを通して言われた主のことばのとおり、かめの粉は尽きず、壺の油はなくならなかった。

 この貧しい女性は、エリヤの語る言葉に従いました。極度の貧しさの中にあっても、神さまのお言葉を優先するように招かれたとき、それに従ったのです。「かめの粉は尽きず、壺の油はなくならなかった」。神さまはエリヤだけではなく、この親子を養ってくださいました。

 それにしてもこれはエリヤにとっても信仰が試されることだったのではないかと思います。私がエリヤの立場だったら、はたして神さまの言葉に従って、今まさに死のうとしている一人の女性に、自分への食糧を優先するように言うことが出来るであろうか、と思います。見るからに貧しさの中にあることを感じたならば、これは神さまのみこころではない、他を当たろう、とするのではないか、と思います。
 しかしエリヤは神さまのみことばに従いました。この出来事は、やもめの信仰が問われていると共に、それ以上にエリヤの信仰が問われていることなのではないかと思います。可能性のない状況の中にあっても、あなたは神さまのみことばに従うか、と問われていること。そのみことばに従うことが、自分だけではなく、語る相手を真実に生かすことであることを信じるか、と。
 どのような状況にあっても、神さまのみことばを、そして神さまを優先するか。そう語ること、そう生きることが預言者の使命でしょう。こののちバアルの預言者との壮絶な信仰の戦いが起こりますが、そのためにも、この出来事はエリヤにとって大切な準備だったのだと思います。

 神さまの言葉を優先する、ということ。それは、愛のないところにも神さまの愛を信じること。絶望の中にも神さまへの希望を持ち続けること、困難な中にあっても主にある喜びを見失わないこと、でもあると思います。

神の御前で、また、生きている人と死んだ人をさばかれるキリスト・イエスの御前で、その現れとその御国を思いながら、私は厳かに命じます。みことばを宣べ伝えなさい。時が良くても悪くてもしっかりやりなさい。忍耐の限りを尽くし、絶えず教えながら、責め、戒め、また勧めなさい。
(第2テモテ4・1,2)