涙とともに種を蒔く者は 喜び叫びながら刈り取る。

静まりの時 詩篇126・1~6
日付:2023年11月16日(木)

 都上りの歌。
1 主がシオンを復興してくださったとき
 私たちは夢を見ている者のようであった。
2 そのとき 私たちの口は笑いで満たされ
 私たちの舌は喜びの叫びで満たされた。
 そのとき 諸国の人々は言った。
 「主は彼らのために大いなることをなさった。」
3 主が私たちのために大いなることをなさったので
 私たちは喜んだ。
4 主よ ネゲブの流れのように
 私たちを元どおりにしてください。
5 涙とともに種を蒔く者は
 喜び叫びながら刈り取る。
6 種入れを抱え 泣きながら出て行く者は
 束を抱え 喜び叫びながら帰って来る。

 「ネゲブ」とは「乾燥した」という意味があるそうです。「ネゲブの流れのように 私たちを元どおりにしてください」との祈りは、何らかの理由で荒れ果てた土地も、水が流れ、緑豊かな土地となり、元どおりとなったように、私たちの国も元どおりにしてください、との祈りでしょう。
 ということは、この詩が詠まれた時点では、国はまだ荒涼としていた、ということでしょう。いまだ荒廃している現実を見ながら、詩人はもう一つの現実を見ているのです。「主がシオンを復興してくださった」「主は彼らのために大いなることをなさった」という神さまの御業というもう一つの現実を見ているのです。
 いまだ解決を見ない行き詰まりの中で、しかし神さまの大いなる御業を見る。ただ想像するという言葉では言い尽くせないことだと思います。信仰の現実というのがよいかもしれません。目に見えるものを超えて、信仰の現実を見る。神さまはいつも大いなることをなさってくださるという現実を見るのです。

 詩篇の著者は、最初の1~3節で、信仰の現実を見上げて、神さまに感謝を献げています。そして喜んでいます。それに続いて4節で願いを献げています。願いに続くのは、「涙とともに種を蒔く者は 喜び叫びながら刈り取る」。信仰の真理、あるいは信仰の告白です。まず感謝、そして願い、そして信仰の告白。この順序の中にも著者の信仰が明らかにされているような気がします。

種入れを抱え 泣きながら出て行く者は
 束を抱え 喜び叫びながら帰って来る。(6)

 絶望の中にも希望を失わない。真実な神さまは、必ず喜びの時を備えていてくださる。そう信じて、今のこのときを喜びと感謝をもって生きるのが、主イエスさまにある者の生き方なのだと思います。

「最も痛ましい状況の中においてさえも、その状況を回復することができる力をお持ちのお方が神なのです。なぜならば、神を信頼する人々のために、「神がすべてのことを働かせて益としてくださることを、私たちは知っています」(ローマ8・28)と約束されているからです。したがって、私たちにできる最小限のこととは、人生という乗り物を楽しむことなのです。」
(ジェームズ・ブライアン・スミス、『エクササイズ』、いのちのことば社、2016年、111頁)