静まりの時 出エジプト22・21~27
日付:2023年11月08日(水)
「寄留者を苦しめてはならない。虐げてはならない。あなたがたもエジプトの地で寄留の民だったからである。」(21)
様々な事情で「寄留者」となる人がいます。この場合はイスラエルにとっては異邦の民のことでしょう。異邦人というと、イスラエルの人びとから差別される人、というイメージがありますが、ここには、そのような立場の人を、虐げてはならない、と神さまは言われました。
「やもめ、みなしごはみな、苦しめてはならない。もしも、あなたがその人たちを苦しめ、彼らがわたしに向かって切に叫ぶことがあれば、わたしは必ず彼らの叫びを聞き入れる。そして、わたしの怒りは燃え上がり、わたしは剣によってあなたがたを殺す。あなたがたの妻はやもめとなり、あなたがたの子どもはみなしごとなる。」
(22-24)
やもめとは、寡婦のこと。みなしご、とは孤児のことです。いずれも、経済的な保証がなく社会的な基盤が希薄な人たちということでしょう。そのような立場の人たちを苦しめてはならないと神さまは言われました。もし苦しめるようなことがあれば、神さまは黙ってはおられない。必ずお裁きになるといいます。
「もし、あなたとともにいる、わたしの民の貧しい人に金を貸すなら、彼に対して金貸しのようであってはならない。利息を取ってはならない。もしも、隣人の上着を質に取ることがあれば、日没までにそれを返さなければならない。それは彼のただ一つの覆い、 彼の肌をおおう衣だからである。 彼はほかに何を着て寝ることができるだろうか。 彼がわたしに向かって叫ぶとき、 わたしはそれを聞き入れる。 わたしは情け深いからである。」(25-27)
イスラエルの社会にも貧富の差があったようです。貧しい人たちがいました。お金を借りなければ生活が成り立たないこともあったでしょう。そんな時、貸すほうは利息を取ってはならないと言われました。また上着を質に取ることがあれば、たとえ返金されていなくても、その日の日没までに返却しなければならない、と神さまは言われました。
上着とは、外套のようなもの、あるいは寝袋のようなもので、生活の必需品、夜冷え込む地域においては、いのちを守るものでした。どんなに貧しい状況にあってもライフラインだけはつないでおく社会であるようにとの神さまの願いなのだと思います。
この個所は、新共同訳では「人道的律法」と表題がついていました。人道、人の道。神さまを信じる信仰の道を学ぶことは、同時に、人の道を学ぶことでもあります。
24節は、新改訳2017では「もし、あなたとともにいる、わたしの民の貧しい人に金を貸すなら」と訳されていますが、共同訳2018では次のように訳されています。
「あなたのところにいる私の民、貧しい者たちに金を貸すときは・・・」
先の新改訳の方では「わたしの民の貧しい人」ですから、イスラエルの民の中の貧しい人たち、という意味にとれます。それに対して、共同訳の方は「私の民、貧しい者たち」と「私の民」と「貧しい者たち」が併記されているように読めます。つまり、ことさら貧しい人たちのことを、私の民、すなわち神さまの民であると強調しているように感じるのですが、私だけでしょうか。
神さまの民は、貧しい民である。貧しい民は、神さまの民である。貧しさということが、神さまの民であることの証し、証明書のようなものである、と想像が膨らみます。
「貧しい人たちは幸いです。神の国はあなたがたのものだからです」(ルカ6・20)
貧しい者とは、神さまなくしては生きることが出来ない、ということを知っている人のことでしょう。たとえ経済的には貧しくなくとも、神さまなくしては生きることが出来ないことを知っているひとは、真実に意味で、そして良い意味で、ここで語られている貧しい人と言えるでしょう。貧しさは、神さまのご支配の条件、備えなのです。