主は、すべて主に身を避ける者の盾

静まりの時 第二サムエル22・26~31
日付:2023年11月01日(水)

26 あなたは、恵み深い者には恵み深く、
    全き者には全き方。
27 清い者には清く、
    曲がった者にはねじ曲げる方。
28 苦しむ民を、あなたは救われますが、
    御目を高ぶる者に向け、これを低くされます。
29 主よ、まことにあなたは私のともしび。
    主は私の闇を照らされます。
30 あなたによって、私は防塞を突き破り、
    私の神によって、城壁を跳び越えます。
31 神、その道は完全。
    主のことばは純粋。
    主は、すべて主に身を避ける者の盾。
(26-27)

「あなたは、恵み深い者には恵み深く、全き者には全き方」。

 新共同訳では

「あなたの慈しみに生きる人に あなたは慈しみを示し 無垢な人には無垢に」

 共同訳2018では

「あなたは、忠実な者には忠実な方として 完全な者には完全な方として現れる。」

 新改訳で「恵み深い者」と訳されている言葉が、新共同訳では「あなたの慈しみに生きる人」すなわち、神さまの慈しみ、愛に生きる人、共同訳2018では「忠実な者」とそれぞれ訳されています。
 恵み深いということは、神さまの愛に生きる人のことであり、忠実に生きる人のことである、ということでしょう。恵み深いということは、人間の業ではなく、神さまへの信頼から生まれるものなのです。

 この章は、「ダビデの感謝の歌」と表題がつけられています。そして続く23章には「ダビデの最後の言葉」とありますので、この22章は、人生を振り返って感謝を捧げている歌である、ということです。
 善いことも悪いことも、さまざまなことのあった人生。その人生を振り返りつつ感謝の言葉を献げているのです。「清い者には清く、曲がった者にはねじ曲げる方」。まるで鏡のように自分に対される神。感謝すべき事柄だけの人生だったのではありません。しかしすべて感謝の言葉をもって締めくくる。それがダビデの人生でした。

「主よ、まことにあなたは私のともしび。主は私の闇を照らされます。あなたによって、私は防塞を突き破り、私の神によって、城壁を跳び越えます。神、その道は完全。主のことばは純粋。主は、すべて主に身を避ける者の盾。」

 敵の防塞を破り、その城壁を跳び越えることが出来たのは、自らの力ではなく、ただ神さまのお力によってである、おごり高ぶることなく、主の前にへりくだり、主に身を避ける者に、主は盾となって守ってくださった、勝利を与えて下さった、と感謝を捧げています。
 過去の出来事においてだけではなく、今も、これからもそうだ、と告白します。人生の終わりに、目の前にはだかる防塞、城壁は、何よりも死ではないかと思いますが、それをも主にあるならば突き破り、跳び越えることが出来る、と告白します。たとえ暗闇を歩むかのようなときも、ともしびとなって道を照らし導いてくださる、と感謝を捧げています。

 ウォーキング途中のあぜ道に、スマホが落ちていました。どうしたものかと考えていたところに、なにやら探し物をしているような風情の方が自転車で通りかかられました。持ち主でした。「良い人にひらっていただいてよかったです」と言われました。(良い人かどうかわかりませんが・・・)。なにかすがすがしい気持ちがしました。といいながら、時折、スマホ、どこいったっけ、ということですので、そんなときは私も良い人にひらっていただけますように、と願いたいと思います。
 暖かい日が続き、感謝です。

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