キリスト・イエスにある恵みによって強くなりなさい

静まりの時 第二テモテ2・1~7
日付:2023年10月10日(火)

1 ですから、私の子よ、キリスト・イエスにある恵みによって強くなりなさい。
2 多くの証人たちの前で私から聞いたことを、ほかの人にも教える力のある信頼できる人たちに委ねなさい。
3 キリスト・イエスの立派な兵士として、私と苦しみをともにしてください。
4 兵役についている人はだれも、日常生活のことに煩わされることはありません。ただ、兵を募った人を喜ばせようとします。
5 また、競技をする人も、規定にしたがって競技をしなければ栄冠を得ることはできません。
6 労苦している農夫こそ、最初に収穫の分け前にあずかるべきです。
7 私が言っていることをよく考えなさい。主はすべてのことについて、理解する力をあなたに与えてくださいます。
(第二テモテ2・1~7)

 キリスト・イエスにある恵みによって強くなること。救い主であるイエスさまの恵み。それは何よりも十字架と復活における一方的な神さまの愛の恵みです。人間が強くされるとすれば、この神さまの恵み以外にはない。キリスト者は、神さまの恵みによって強められるものなのだといいます。知恵や知識、さまざまな経験によって強められるということもあるかもしれない。しかしそういうことよりも、ただひたすら神さまの恵みによって強くされ今を生かされることを喜びたいと思います。

 その喜びに生きる者は、自分の務めを委ねることができます。恵みに生かされていないと、自分の務めを誰かに委ねることはなかなかできません。
 どういう人に委ねればよいのか。誰にでも委ねられることではないでしょう。「ほかの人にも教える力のある信頼できる人たち」に委ねなさい、といいます。この新改訳の訳では、「ほかの人にも教える力」のある人が信頼できる人たちである、と読めてしまいます。しかし共同訳2018では「ほかの人々にも教えることができる忠実な人たち」と訳されていて、ほかの人にも教える能力のある、それゆえ信頼できる人、というのではなく、ただ「多くの証人たちの前で私から聞いたこと」を忠実に伝えることのできる人に、委ねなさい、との意味となります。伝道者の大切な資質は、忠実さ、なのです。下手な伝言ゲームのように、伝えられた者が「独創的」に次の人に伝えてしまってはいけないのです。ただ「忠実」にイエスさまの十字架と復活を伝える人が、委ねるにふさわしい人なのです。
 これに続いて、パウロはテモテに、苦しみを共にしてほしい、と願います。唐突な言葉のようですが、前の文章と合わせて考えると、委ねること、は、またパウロの苦しみを共にすることでもあった、ということかもしれません。自分でやった方が楽なこともあったかもしれません。委ねることで、かえって苦しみを起こしてしまう、ということ。パウロは宣教の旅の中で、群れが生まれると、それを委ねて次に進んでいきました。それはたやすいことではなかった、ということなのでしょう。
 しかし自分の満足のために福音宣教をしているのではなく、「兵を募った人」すなわち神さまを喜ばせようとして福音宣教をしているのだ、自分たちは神さまの兵卒なのだ。日常生活のことに煩わされてはいけない、こと福音宣教については、いつも日常生活のことはわきに置いておこう。競技をする人たちも、ルールに従って競技をするからこそ、栄冠を得る道に進むことが出来る。つまり、委ねる、ということは、神さまを喜ばせることであり、日常の考え方からすればちょっとずれているかもしれないが、それが福音のルールなのだ。そうして、労苦している農夫こそ、最初に収穫の分け前にあずかるように、委ねることによって苦しみを共にしている者こそ、最初に収穫の分け前にあずかることになるのだ、と語るのです。

 委ねる、ということはなかなか難しいことです。しかし神さまの恵みによって強められる者は、そのような生き方に招かれている、ということでしょう。