静まりの時 使徒16・6~10
日付:2023年06月28日(水)
6 それから彼らは、アジアでみことばを語ることを聖霊によって禁じられたので、フリュギア・ガラテヤの地方を通って行った。
7 こうしてミシアの近くまで来たとき、ビティニアに進もうとしたが、イエスの御霊がそれを許されなかった。
8 それでミシアを通って、トロアスに下った。
9 その夜、パウロは幻を見た。一人のマケドニア人が立って、「マケドニアに渡って来て、私たちを助けてください」と懇願するのであった。
10 パウロがこの幻を見たとき、私たちはただちにマケドニアに渡ることにした。彼らに福音を宣べ伝えるために、神が私たちを召しておられるのだと確信したからである。
(使徒16・6~10)
テモテを伴ってパウロの宣教の旅は続きます。この旅は「先に主のことばを宣べ伝えたすべての町で、兄弟たちがどうしているか、また行って見て来ようではありませんか」(使徒15・36)と書かれていますので、前回の宣教旅行の道を再び辿っていくことがその目的でした。しかし「アジアでみことばを語ることを聖霊によって禁じられた」(6)、「イエスの御霊がそれを許されなかった」(7)ので、結果トロアスという港町に行くことになりました。そこでパウロは幻を見ます。一人のマケドニア人が自分たちを助けてほしいと懇願している幻です。マケドニアは、ここトロアスからエーゲ海を挟んで向こう岸でした。「Wind is blowing from the Aegean~」とジュディ・オングの歌が聞こえてきそうです。
こうして彼らは、さらなる異邦人宣教に前進していくことになりました。
「聖霊によって」「イエスの御霊が」「神が私たちを召しておられる」。異邦人宣教は、人間の計画によるものではなく、まさに神さまご自身が力強く導いておられることである、と聖書は語ります。
使徒の働きは、ルカがテオフィロという人物に宛てて書いた文書(手紙)です。ルカの福音書の続編みたいなことです。使徒の働きはこの16章11節から「私たちは」という言葉、すなわち一人称複数を主語として書かれ始めます。つまり今までは伝聞を書いてきたのですが、ここからルカ本人が旅に同行した中での実体験が語られ始めるということです。このことから、このパウロの幻に現れたマケドニア人とは、ルカのこと、だったのではないか、と想像する人がいます。必ずしも正確なことではないということですが、一つの美しい想像である、とある先生は言われていました。
「しかし、聖霊があなたがたの上に臨むとき、あなたがたは力を受けます。そして、エルサレム、ユダヤとサマリアの全土、さらに地の果てまで、わたしの証人となります。」(使徒1・8)
進もうとする道がことごとく閉ざされ、計画にはなかった道に導かれていくパウロたち。私たちを助けてください、私たちには救いが必要なのです、その救いの道をご存じなのはあなたがたです、イエスさまの救いこそ真の救いなのです、と懇願するマケドニア人。彼らの出会いが、さらなる異邦人宣教、より広く深く世界に向かって宣教が前進していきました。
「神が私たちを召しておられるのだと確信した」。
聖霊が進もうとした道を閉ざされた理由は、そのときは分かりませんでした。しかし後になって、神さまが召しておられた、導いておられたのだ、と確信することになりました。その時は分からなかったけれども、後になって、ああ神さまが導いてきてくださったのだ、と分かったというのです。
「人生とは、美しい刺繍を裏から見ているようなものだ。その模様が何を意味しているか、そのままでは分からないが、それを表から見られるようになったとき、その意味と美しさが分かる。」(ティヤール・ド・シャルダン)