静まりの時 第一ペテロ1・3~9
日付:2023年05月16日(火)
試練で試されたあなたがたの信仰は、火で精錬されてもなお朽ちていく金よりも高価であり、イエス・キリストが現れるとき、称賛と栄光と誉れをもたらします。
(第一ペテロ1・7)
共同訳2018、新共同訳では以下の通りです。
「あなたがたの信仰の試練は、火で精錬されながらも朽ちるほかない金よりはるかに尊く、イエス・キリストが現れるときに、称賛と栄光と誉れとをもたらすのです。」
(第一ペトロ1・7、共同訳2018)
「あなたがたの信仰は、その試練によって本物と証明され、火で精錬されながらも朽ちるほかない金よりはるかに尊くて、イエス・キリストが現れるときには、称賛と光栄と誉とをもたらすのです。」(第一ペトロ1・7、新共同訳)
称賛と栄光(光栄)と誉れをもたらすのは、「試練で試されたあなたがたの信仰」、「あなたがたの信仰の試練」、「その試練によって本物と証明された」「あなたがたの信仰」です。
信仰と試練が一つになっているような表現です。単純に信仰が称賛と栄光、誉れをもたらすのではなく、試練によって試された信仰、あるいは信仰によって経験していく試練が、それらをもたらすのです。
この試練とはいったいなんであるのか。信仰を持ったばっかりに経験する困難かもしれません。あるいは人生に起こる様々な苦しみかもしれません。いずれにせよ、そのような困難や苦しみを、困難や苦しみとしてとらえるのではなく、信仰の試練として受け止めていく。信仰の試練として受け止めるということは、その困難や苦しみにも意味があり、やがての希望がある、ということを信じるということでしょう。
そのような信仰の試練が、あるいは試練によって練られる信仰が、イエスさまが現れるときに、称賛と栄光と誉れをもたらすのだ、というのです。
イエスさまが現れるとき。再臨の時。再びイエスさまが来てくださる時。その時に、称賛と栄光と誉れをもたらす。称賛と栄光と誉れは、神さまに帰すことです。信仰の試練は、自分の人生がよりよくなるとか、立派な人格を形成する、ということがその目的ではありません。確かに試練を経験した人が、やさしい人である、とか、他者への配慮のできる人である、ということは事実かもしれません。しかし聖書は、そのような目的のために信仰の試練があるのではない、と語っているようです。信仰の試練もその目的は神さまにあります。信仰者は、神さまのために、信仰の試練を経験するのです。やがての時に、神さまを賛美するために、神さまに栄光をお返しするために、そして神さまをほめたたえるために、信仰の試練を経験するのです。
そうして神さまに帰された称賛と栄光と誉れこそ、本当の称賛と栄光と誉れとなるのだと思います。神さまに帰された称賛と栄光と誉れだからこそ、また私たちに与えられる栄光となるのだ、と思います。
天候の関係で、教会学校の芋の苗植え作業の準備として本部の畑の作業が行われます。ご苦労さまです。今朝は雲一つない青空が広がっています。