あなたは、わたしに従いなさい

静まりの時 ヨハネ21・20~25
日付:2023年04月15日(土)

イエスはペテロに言われた。「わたしが来るときまで彼が生きるように、わたしが望んだとしても、あなたに何の関わりがありますか。あなたは、わたしに従いなさい。」
(ヨハネ21・22)

 小学校に入学した時から、ともに生きる者との比較の中に私たちは生きて来ましたから「この人はどうなのですか」と問うペテロの気持ちはよくわかります。しかしイエスさまは「あなたに何の関わりがありますか」と問い返されました。「あなたは、わたしに従いなさい」。たとえ皆の者が従わなくとも、あなたはわたしに従いなさい、とも響いてきます。
 主に従う、ということは、他者との比較から自由にされていなければ可能とならない、ということでしょう。他者との比較の中から自由にされていないならば、主に従うということの中にも、どこか主に従っていない、すなわち自分に従う、ということが忍び込んでいるのかもしれません。
 唯我独尊、という言葉がありますが、どこかひとりよがりで、自分だけがすぐれているとする印象があります。しかしこの誰が従わなくとも、自分は主に従う、ということは、それとは異質なことであるはずです。どう違うのか。
 ひとりよがりではなく、主に従う、という生き方。おそらく謙遜であるかないか、という点は大きく影響するのではないかと思います。ひとりよがりは傲慢です。しかし主に従う人は謙遜なのです。

「イエスが行われたことは、ほかにもたくさんある。その一つ一つを書き記すなら、世界もその書かれた書物を収められないと、私は思う。」(25)

 この「私は思う」の私とは、いったい誰であるのか。前節24節には、この福音書を書いたのは「その弟子である」と書かれています。ヨハネのことでしょう。そのヨハネの書いた証しが真実であることを知っている、というこの知っていると書いている人物はいったい誰のことなのか。おそらくそれがこの25節の「私は思う」の私のことだと思います。
 この福音書の最初の読者、と考えてもよいのかもしれません。単数形ですから、特定の人物を想定してもよいのだと思いますが、ざっくりと「教会」と考えるのがよいように思います。
 教会は「イエスが行われたことは、ほかにもたくさんある」ことを知っていました。しかしその一つ一つを書き記すならば、「世界のその書かれた書物を収められない」と考えた、ということでしょう。ということは、福音書は取捨選択されたものが書き記された、と考えることができると思います。
 取捨選択。いらないものは捨て、大切なものだけ、あるいは目的を遂げるためのものだけが選ばれた、ということです。その目的とは、

「イエスは弟子たちの前で、ほかにも多くのしるしを行われたが、それらはこの書には書かれていない。これらのことが書かれたのは、イエスが神の子キリストであることを、あなたがたが信じるためであり、また信じて、イエスの名によっていのちを得るためである。」(ヨハネ20・30,31)

 聖書の書かれた目的、少なくともヨハネの福音書が書かれた目的は、イエスさまが神の子キリストであることを信じるため、また信じてイエスさまのお名前によっていのちを得るためである、のです。つまりキリスト教信仰を持つために書かれたのです。そのために取捨選択されたことが書かれたのです。ですからイエスさまを信じるという目的以外の目的をもって聖書を読んでもあまり意味がありません。目的外使用ですから。例えば、聖書から自然科学を論じることや、人生訓を考察すること、処世術や人権意識を高めることなどは、ある程度は可能だと思いますが、それは目的外使用であることを知っていないと、ちょっとおかしなことになってしまうでしょう。あるいはイエスさまを信じることは別にして聖書を読んでみても、あんまり意味が分からない、というか、読んだことにならない、ということなのだと思います。

 昨日は午前中に印刷作業でいつもの印刷物に加えて、団体の伝道会ニュースの印刷も行い、発送作業まで完了することができました。午後は団体の一つの教会が不動産購入をするということで、契約のために出かけました。二年前にも奔走しましたが、これから県の総務課とのやり取りが始まります。二年前の心筋梗塞はこれで発症したわけではありませんが、私にとってはスリリングでアドレナリンがやたらに出てしまう仕事です(笑)。ゆったりと進めていきたいと思います。まあ、すでに経験済みの書類作成と交渉ですから大丈夫でしょう。
 契約のあと、韓国からのゲストのご夫妻と食事をご一緒しました。20年ほどまでに韓国を訪ねたのですが、その時に歓待してくださったご夫妻とその時分かりました。確か高級そうなレストランで宮廷料理のようなものをごちそうしてくださったと記憶しています。この方は牧師ではなく、宣教の働きを経済的に支え続けてくださった方です。韓国の超有名大学の医学部の教授で外科のエキスパート、たびたび来日しては、諸大学で講演を行われてきた方とのこと。ひえー。ファミリーレストランで庶民的な食事を共にしました・・・。
 食事中にうかがったご両親の時代からのお証しをうかがいました。その波乱万丈の人生に感動しました。ホンコンからの宣教師もご一緒してくださったので、韓国語、英語、日本語、ちょこっと広東語が飛び交いながらの楽しい食事会でした。

 今日は備えの日。明日は主の日です。よい備えの一日を送りましょう。明日は召天者記念礼拝ですので、久しぶりの方もお見えになると連絡をいただいています。祝福を祈りつつ。

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麦の穂が立ち始めています。