私たちの戦いの武器は肉のものではなく、神のために要塞を打ち倒す力があるものです

静まりの時 第二コリント10・1~6
日付:2023年02月11日(土)

1 さて、あなたがたの間にいて顔を合わせているときはおとなしいのに、離れているとあなたがたに対して強気になる私パウロ自身が、キリストの柔和さと優しさをもってあなたがたにお願いします。
2 私たちが肉に従って歩んでいると見なす人たちに対しては、大胆にふるまうべきだと私は考えていますが、そちらに行ったときに、その確信から強気にふるまわないですむように願います。
3 私たちは肉にあって歩んではいても、肉に従って戦ってはいません。
4 私たちの戦いの武器は肉のものではなく、神のために要塞を打ち倒す力があるものです。
5 私たちは様々な議論と、神の知識に逆らって立つあらゆる高ぶりを打ち倒し、また、すべてのはかりごとを取り押さえて、キリストに服従させます。
6 また、あなたがたの従順が完全になったとき、あらゆる不従順を罰する用意ができています。
(第二コリント10・1~6)

 パウロには多くの敵がいて、その敵から悪口を言われていたようです。実際に面と向かっている時はおとなしい、弱腰である、しかし離れていると強気になる、と。そのような敵からの悪口をここで自らが書いているのは、パウロなりのユーモアでしょうか。
 そのパウロは、「キリストの柔和さと優しさ」をもって願うと語りました。キリストの柔和さと優しさをもって願うことと、2節にあるように大胆にふるまう、強きに振る舞うという言葉とは、矛盾するように思いますが、柔和と優しさというのは、決してなよなよとしたことを言っているのではないでしょう。重篤な病気の中にある患者にとって、力強く治療に臨んでくれる医師は、本当の意味で柔和で優しい人であるように、キリスト者がイエスさまからいただいた柔和さと優しさとは、高慢の罪の中にある者に対して、どこまでも妥協することなく、その病巣を取り除くまで忍耐をもって戦い続ける者なのだ、と思います。

「私たちは肉にあって歩んではいても、肉に従って戦ってはいません」(3)。

 信仰者と言えども、この地上に生きている限り、私たちは「肉にあって」歩んでいます。しかし「肉に従って戦って」いるのではないとパウロはいいます。肉に従う、とは、人間的なことだけにより頼んで生きる、ということでしょう。もし人間的なものだけにより頼んでいるならば、その先にあるのは敗北だけだと思います。
 私たちの人生における信仰の戦いが、神さまのための戦いであるならば、その戦いにおける武器は「肉のもの」ではありません。

 次の4節の訳は、共同訳2018では次のようになっています。

「私たちの戦いの武器は肉のものではなく、神から与えられた力であって、砦を破壊することさえできます」(4、共同訳2018)。

 新改訳では、戦いのための力は「神のため」と訳されていますが、共同訳では「神から与えられた」と訳されています。どちらも可能なのだと思います。神さまのための力であるとともに、その力は神さまから与えられるのだ、ということでしょう。そこに、この戦いの勝利の道がある、ということだと思います。
 この信仰の戦いは、共同訳5、6節によると「私たちは、さまざまな議論を破り、神の知識に逆らうあらゆる高慢を打ち砕き、あらゆる思惑をとりこにしてキリストに服従させ」る戦いだといいます。この世はさまざまな議論によって信仰に生きる者に敵対するのですが、そこにある真の敵は「神の知識に逆らうあらゆる高慢」である、というのでしょう。信仰の戦いの敵は、人間の高慢なのです。そしてこの高慢が打ち倒され、キリストに従順になっていくこと。それが、信仰の戦いにおける勝利であり、私たちが目指すものなのです。だからこそ、この戦いはまず戦いに行く者自らが、謙遜と従順を身に着けなければなりません。もし高慢によって戦おうとするならば、それは敵と同じことをしているだけであって、そこには勝利はないでしょうし、たとえ勝利と見えたとしても本当の勝利ではないのだと思います。謙遜と従順によって戦う。それがキリスト者の戦いなのだと思います。

 昨日は、このブログのアップロードするのをすっかり忘れていました。うっかり忘れていただけですので、何かあったわけではなく元気にしています。
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 今朝起きたとき、南の空に月がきれいに輝ていていました。あたたかく穏やかな一日になるようです。良い備えの一日を送り、明日の主の日に備えたいと思います。祝福を祈りつつ。