静まりの時 ルカ8・1~3
日付:2023年01月26日(木)
1 その後、イエスは町や村を巡って神の国を説き、福音を宣べ伝えられた。十二人もお供をした。
2 また、悪霊や病気を治してもらった女たち、すなわち、七つの悪霊を追い出してもらったマグダラの女と呼ばれるマリア、
3 ヘロデの執事クーザの妻ヨハンナ、スザンナ、そのほか多くの女たちも一緒であった。彼女たちは、自分の財産をもって彼らに仕えていた。
(ルカ8・1~3)
イエスさまの宣教活動は、「町や村を巡る」こと、「神の国を説く」こと、そして「福音を宣べ伝える」ことでした。この「福音を宣べ伝える」の「福音」とは、良い知らせ、という意味です。良い知らせを宣べ伝えてくださった、それがイエスさまが町や村を巡り、神の国を説くことであった、というのです。神の国、すなわち、神さまのご支配がやって来た、ということが、町や村に住むすべての人びとにとって、良い知らせだったのです。人びとはそれが良い知らせであるとすぐに分かったわけではなかったかもしれません。しかしイエスさまは、人びとにとって何が良い知らせであるかをご存知でした。
福音、良い知らせ。それはそもそも戦争終結の伝令のことであった、と言われます。もう戦争は終わった、これ以上戦う必要はない、との知らせ。それが私たちにとって良い知らせなのです。私たちは何と戦っていたのか。
人生の問題との戦い、病気との戦い、人間関係における戦い。あるいは自分自身との戦い、自分の人生や自分自身を受け入れることの戦い、などなど。戦いの終結、もはや私は戦わなくてもよい、ということは、その戦いに神さまが勝利してくださった、ということでしょう。信仰に生きることは、ある意味で戦いかも知れませんが、戦々兢々として平安のない日々を送るということではないのだと思います。喜びと感謝をもって一日一日を送るということだと思います。勝利の主がともにいて下さるのですから。
このイエスさまの宣教活動に、12人の弟子たちがついて行きました。12人の弟子たち、とありますが、原文には弟子という言葉はありません。ただ12と書かれているだけです。
聖書に書かれている数字にはいろいろな意味が込められています。この12にも意味があります。旧約聖書に登場する12部族、それは神の国イスラエルのことです。12は神さまの国、神さまのご支配をあらわしている、といえるでしょう。新約聖書において、この12は新しい神の国をあらわしています。イエスさまの十字架と復活、そして昇天のあと、弟子たちは、弟子のイスカリオテのユダが離脱したことで11人となっていたところを補充しています。その時、ふさわしい人が二人選ばれました。二人ともを弟子に加えればよいものを、わざわざくじを引き一人に絞っています。それは弟子の数を12にこだわっていたということでしょう。そこに聖霊降臨が起こり教会が誕生しました。教会こそ、新しいイスラエル、神の国なのです。
この「12」がイエスさまの宣教のお供をしました。イエスさまはスタンドプレーをなさいません。つねに12がともにいることを大切にされます。12が意味する教会がともに「ある」ことを大切にされるのです。イエスさまは教会を通して働かれる、ということでもあると思いますし、あるいは教会の働きは、いつもイエスさまのお供であるということでもあるでしょう。教会はイエスさまの前に立っているのではなく、イエスさまのお供をしているのです。
さらに「多くの女性たち」も一緒にいて、「彼らに仕えて」いました。イエスさまに仕えていた、のです。そして彼ら、すなわち弟子たち、そして教会に仕えていたのです。
男尊女卑の文化の中にあったこの時代。ことさらに女性たちの働きを記している、ということに人権感覚の先進性を感じます。教会は人権感覚においていつも時代の先頭に立っているということでしょう。今日の人権課題にはさまざまなものがありますが、教会は罪びとである人間の中で生まれてしまった様々な認知バイアスの縄目から解き放たれていなければならないと思います。もちろんそのような社会運動をしなければならないということではなく、一人の人を大切にするために、という観点が大切なのだと思います。
仕えていた女性たちは、色とりどりです。「マグダラのマリア」は、七つの悪霊を追い出してもらった、というのですから、いろいろとイメージが膨らみます。「ヘロデの執事クーザの妻」は、ヘロデは王家ですから、かなりの高官の女性がいました。「スザンナ」は名前のみですか、それだけに弟子たちの中では大切な存在だったのでしょう。「そのほか多くの女たち」、そのような紹介にとどまるからといって、彼女たちの奉仕が小さいものであったということではないでしょう。いずれも「自分の財産をもって彼らに仕えていた」とあります。財産という言葉からは、なにやら「ひと財産」ということを想像しますが、原文では「持ちもの」という意味です。大小にかかわらず彼女たちは手にあるものをもって彼らに仕えていたのです。
大雪となりました。年間報告書の作成に追われていますが、少しずつ前進しています。