主は勇士のように出で立ち

静まりの時 2022年12月26日(月)
イザヤ42・10~13

10 新しい歌を主に歌え。
 その栄誉を、地の果てから。
 海に下る者、そこを渡るすべての者、
 島々とそこに住む者よ。
11 荒野とその町々、
 ケダル人が住む村々よ、声をあげよ。
 セラに住む者たちは喜び歌え。
 山々の頂から声高らかに叫べ。
12 主に栄光を帰せよ。
 島々にその栄誉を告げ知らせよ。
13 主は勇士のように出で立ち、
 戦士のように激しく奮い立ち、
 ときの声をあげて叫び、
 敵に向かって力を見せつける。
(イザヤ42・10,13)

 「新しい歌を主に歌え」。「新しい」という言葉は、原文のヘブル語でも文字通り新しいという意味ですが、もう一つ「新鮮」という意味も持っています。今まで知らなかった新しい歌、という意味と共に、昔から歌い継がれてきた歌を、新しい気持ちで歌う、という意味も含んでいる、ということでしょう。
 プロテスタント教会の礼拝で歌う賛美歌の多くは、19世紀のリバイバル運動の中で生まれた歌が多いように思いますが、歌われ始めた当時はかなり新鮮で斬新な賛美だったように思います。今となっては伝統的な歌のように思われがちですが・・・。今日、黒人霊歌をはじめ、コンテンポラリーな賛美もたくさん歌われるようになりましたが、同時にグレゴリオ聖歌や古代から中世、ルネサンスに歌われていたような歌も歌われています。どのようなジャンルの賛美であっても、マンネリ化した気持ちで歌うのではなく、新鮮な驚きと感動を持って歌いたいものです。

 「主は勇士のように出で立ち・・・」。古代教父アンブロシウスの作詞と伝えられる新聖歌66(讃美歌第二96番)の「今こそ来ませ」には次のような歌詞があります。

「みくらを去りて 御殿(みとの)を離れ 神の勇士(ますらお) 道に出で立つ」(2)。

 イエスさまがご降誕くださったことは、神の勇士であるイエスさまが、天国を離れて、この世に来て下さったことだ、と歌うのだと思います。勇士や戦士という言葉からは、私たちはいろいろなイメージを持ちますが、赤子として来てくださったイエスさま、十字架に向かわれるイエスさま、そして復活のイエスさま、そのお姿こそ、勇士の姿なのです。そして、そこにこそ、敵に向かって神の力が明らかにされているのです。

 勇士と書いて「ますらお」と読ませています。お相撲さんを思い起こしますが、私のPCで「ますらお」と打ち込むと、いくつか出て来た漢字の中に「大丈夫」というのが出てきました。中国の故事にルーツを持つこの言葉も、ますらお、と読むのですね。
 大丈夫(ますらお)のイエスさまがともにいて下さるので、今日も一日、何があっても大丈夫(だいじょうぶ)です。
 クリスマスに放映していた「ポーラ・エクスプレス」というアニメーション映画を観たのですが、その中に、信じる者にだけ聞こえる鈴の音、というのが出てきました。昨日のクリスマス礼拝も、信じる者に聞こえる神さまの御声に励まされて、歌い継がれてきたクリスマス・キャロルを新しく歌いました。感謝します。