主は信頼すべき神

静まりの時 2022年9月22日(木)
申命記7・9~15

「あなたは、あなたの神、主だけが神であることをよく知らなければならない。主は信頼すべき神であり、ご自分を愛し、ご自分の命令を守る者には恵みの契約を千代までも守られる。」
(申命記7・9、新改訳2017)

 キリスト教はいわゆるご利益宗教ではないと言われます。ご利益宗教とは、人間の願望のままに、無批判に答える、利益をもたらす、そういう神への信仰を語る宗教のことでしょう。自分たちの願いの通りに応えてくれる、ということは、結局その神は、人間の御用聞きのような神でしょう。御用聞きであれば、その神は主人ではありません。主人は、願いをぶつける人間の方です。結局、人間が神になる宗教、ということが言えるでしょう。
 それに対して、キリスト教は、ご利益宗教ではない、というのです。それは私たちの願いに応えない、つまり利益を与えない神、ということではなく、私たちの願いをはるかに超えて答える、私たちの思いを超えた利益を与えてくれる神、ということなのです。ですから、キリスト教はいわゆるご利益宗教ではありませんが、本当の御利益を与えてくれる宗教である、という言い方が正しいのだと思います。
 私たちの願うことと言えば、かならずしも自分の利益になることばかりではありません。むしろ自分を滅ぼしてしまうような願いさえしてしまう者です。そのような願いに、無批判に答えられていまうということは、恐ろしいことです。安心して願うということができません。
 キリスト教は、本当の御利益を与えてくれる宗教なので、安心して願うことができます。また自分の願望が答えられなかったからと言って失望する必要がありません。もっとすばらしいことがあるのだとさらに期待することができます。

 そのような信仰に生きるために「主だけが神であること」とよく知らなければなりません。自分が神になってはならないのです。神さまを信じるということは、この神さまに信頼するということであり、神さまを愛するということです。そして神さまの命令を守るということです。そのようにすれば見返りとしてご利益が与えられるというのではなく、そのような信仰こそ、豊かなご利益の中に生きる道である、と語るのです。この微妙な違い、しかし大きな違いが大切です。