主はモーセに言われた

静まりの時 2022年9月21日(水)
出エジプト24・12~18

「主はモーセに言われた。『山のわたしのところに上り、そこにとどまれ。わたしはあなたに石の板を授ける。 それは、彼らを教えるために、 わたしが書き記したおしえと命令である。』そこで、モーセとその従者ヨシュアは立ち上がり、モーセは神の山に登った。」
(出エジプト24・12、13、新改訳2017)

 神さまは、十のことば、戒めと言った方がよいのかもしれませんが、のちに十戒と呼ばれることとなることばが記された石の板を、モーセに授けられました。そこでモーセは、従者であったヨシュアとともに立ち上がり、神の山に登りました。モーセは、40日40夜、その山にいたと言います。

 出エジプト記は、20章に入ってすぐに十戒が記されています。その後の20章22節から、この23章の終わり33節までを「契約の書(契約法典)と呼ばるそうです。それに続いて、24章1節から「契約の批准」が記され、あらためて、24章12節から最後の18節までに、シナイ山に登るモーセの姿が記されています。つまり、神さまから十戒が民に与えられたのですが、それはモーセを通して与えられたのですよ、と語られているということです。

 モーセという一人の人を通して、神さまは民に語られました。神さまですから、イスラエルの民一人ひとりに直接語ることもできたでしょう。しかしそうはなさいませんでした。神さまは、モーセを選び、モーセを通して、ご自身のみこころを語られたのです。民は、モーセの語る言葉を、神さまからの言葉として聞きました。そして従いました。
 モーセは偉大な指導者だったと思いますが、もともとそのような気概を持った人物ではなかったでしょう。ときに迷い、意気消沈し、自分はふさわしくないと落ち込みました。しかし神さまはそんなモーセをお選びになられたのです。そうしてモーセは神さまの言葉を取り次ぐ者となりました。民も、ときおりモーセに文句を言い、また逆らうこともありました。しかし神さまへの信仰によって、モーセに聞き従っていきました。

 神さまはひとりの指導者によってイスラエルを導こうとされました。これが神さまのなさり方なのだと思います。教会には、職制が備えられています。けっして立派な人物が選ばれるわけではありません。しかし、神さまは御言葉の奉仕の為に召した人物を通してご自身のみこころを語ろうとされます。説教者はつねに講壇に立つときに恐れに足が震えます。しかしただ召されたということだけで立ちます。会衆も、前に立つ者がつねに立派に見えるわけではありません。奇跡の一つでもやってのけてくれれば、聞く気にもなるということもあるでしょう。しかし前に立つ者は、むしろこの世から見れば貧しく力のない者です。その語る言葉に聞き従うためには、謙遜が必要となります。高慢では、語られる言葉が心に入らないのです。神さまはこのような方法をおとりになられたのです。