聞いて、お赦しください

静まりの時 2022年8月15日(月)

第二歴代誌6・18~21

「あなたのしもべとあなたの民イスラエルが、この場所に向かってささげる願いを聞いてください。あなたご自身が、あなたの御住まいの場所、天からこれを聞いてください。聞いて、お赦しください。」

(第二歴代誌6・21、新改訳2017)

神殿建設を終えた王ソロモンの祈り。

建築に要した時間は約7年。膨大な財と当時の建築技術を駆使して建造された神殿は、他の類を見ないほどの豪華で荘厳なものだったようです(第一列王5~7章)。その完成において、つまり献堂式において祈られた祈りが、この第二歴代誌6章に記されています。

ソロモンは、この祈りの中で、神さまの御住いは天であって、地上の人間と一緒くたに住まわれるということはない、と祈りました。しかし同時に今建設された神殿に、神さまご自身がその御名を置かれるので、人が神殿に向かって祈る時、「神さま、その祈りを聞いてください」と祈っています。いったい神さまは神殿におられるのか、おられないのか。神殿が神殿であるためには、つねにこの二つの間に緊張関係の中に神殿をとらえ続けなければならない、ということでしょう。今日の教会堂も同じではないかと思います。地上の人間と一緒くたに住まわれることなどあり得なのが神さまである、ということが分かれば分かるほど、神さまご自身であるイエスさまが「世の終わりまでともにいます」と語って下さった言葉が奇跡の言葉であり、大変ありがたいことであることを教えられます。

21節の文章の最後に「聞いて、お赦しください」との祈りの言葉があります。何を赦して下さいと祈っているのでしょう。新共同訳では「罪を赦してください」と訳されています。新改訳、共同訳2018では、いずれも「罪の」という言葉が書かれていませんが、この「赦し」が「許し」の「許」ではなく「赦」という漢字が使われているので、罪の赦しと理解するのが順当でしょう。原文からもそのように推測されるようです。

あらためて今朝の個所の願いの言葉を拾ってみます。

・あなたのしもべの祈りと願いに御顔を向けてください。

・私の神、主よ。あなたのしもべが御前にささげる叫びと祈りを聞いてください。

・そして、この宮、すなわち、あなたの御名をそこに置くと言われたこの場所に、昼も夜も御目を開き、あなたのしもべがこの場所に向かってささげる祈りを聞いてください。

・あなたのしもべとあなたの民イスラエルが、この場所に向かってささげる願いを聞いてください。

・あなたご自身が、あなたの御住まいの場所、天からこれを聞いてください。

これらの願いの言葉がことごとく、罪を赦してください、という言葉に結びつくように感じてきます。ソロモンにとって、祈りと願いの根底には、罪の赦しをこいねがう心があったということでしょうか。それはまた自分自身は罪びとであって、神さまがその祈りを聞いてくださるということは、本来ならばあり得ないことであることをわきまえていた、ということかもしれません。

祈りが祈りとなるために、祈りをささげる自らが罪びとであることをわきまえていること。本来ならば、祈りを聞いていただくことなどあり得ないということを知っていること。だからこそ、私たちにおいては、主イエスさまのお名前によってのみ聞いていただく可能性があるということ。その可能性を創造してくださったのが、神であるイエスさま御自身であるということ。そのような心をもって祈りに生きることが私たちにゆるされているのです。このことを忘れてしまったとき、私たちの祈りは、神さまにむかって召使に命じるような祈りとなってしまうのだと思います。

今朝月曜日、健やかに朝を迎えることができました。お祈りを感謝します。昨日は体調不良で、礼拝開始直前になって説教奉仕ができないことになりました。心筋の半分が壊死している慢性心不全なので、ちょっとしたことで脈拍と血圧が不安定になってしまいます。大変申し訳ありませんでした。次週はなんとか頑張ってみたいと思います。