静まりの時 2022年8月4日(木)
エレミヤ31・35~37
「35 主はこう言われる。
太陽を与えて昼間の光とし、
月と星を定めて夜の光とし、
海をかき立てて波を騒がせる方、
その名が万軍の主である方が。
36 『もしも、これらの掟がわたしの前から
去ることがあるなら──主のことば──
イスラエルの子孫は絶えて、
わたしの前にいつまでも
一つの民であることはできない。』
37 主はこう言われる。
『もしも、上の天が測られ、
下の地の基が探り出されることがあるなら、
わたしも、イスラエルのすべての子孫を、
彼らの行ったすべてのことのゆえに退ける。
──主のことば。』」
(エレミヤ31・35~37、新改訳2017)
「太陽を与えて昼間の光とし、月と星を定めて夜の光とし」。神さまはすべての創造主である。「海をかき立てて波を騒がせる方」。その創造主である神さまは、今もすべてをその御手の中に支配されている。それが神である、と聖書は語ります。
創世記1章には、第一日にすでに光が創造されてた後で、第四日目に太陽、月、星を創造されました。太陽、月、星の創造とは「定められた時々のため、日と年のためのしるしとなれ」(14)とあるように、時間の創造です。刻々と流れる時間をも神さまの御手の中にあり、今起こっているすべての出来事、現象の中にも神さまの御手がある。それが創造主である神さまを信じるということです。
「もしも、これらの掟がわたしの前から去ることがあるなら」。つまり創造主である神さまのお定めになったすべての掟がなくなってしまうならば、「イスラエルの子孫は絶えて、わたしの前にいつまでも 一つの民であることはできない」。イスラエルが一つの民として存在していることが可能なのは、この世界の創造の法則に匹敵することである、というのです。それだけ確かなことである、というのでしょう。
この世界はあらゆる法則によって成り立っています。そこには秩序があります。世界はどうしても違(たが)えることのできない秩序によって成り立っています。科学者はその秩序を発見し、病気の治療や社会の文明化に努力しています。もし秩序がなければ彼らの努力は、何の意味もありません。人間はその圧倒的な秩序の前に無力です。たとえば角の四つある三角形を人間は描くことができません。三角形の内角の和を180度以外にすることができません。病原菌に侵されると病気を発症します。睡眠不足は眠たいです。という具合に法則と秩序の中に世界は置かれ、私たちはその限界にときにいら立つこともあるかもしれませんが、多くの場合それらに守られています。法則や秩序がありそれらが揺るぐことのない確かなことなので安心して生活ができるのです。
その「確かさ」と匹敵するほどの確かさをもって「イスラエルは一つの民である」のだ、と神さまは言われました。こんにち、私たちに当てはめるとすれば、キリスト者である、ということや、召された民としての教会の存在は、自然法則と同じぐらい確かなことなのだ、けっして揺るぐことはない、と言われたのです。
また、「もしも、上の天が測られ、下の地の基が探り出されることがあるなら」、つまり、この世界の隅々に至るまで、探求される、知り尽くされることが可能であるならば、「わたしも、イスラエルのすべての子孫を、彼らの行ったすべてのことのゆえに退ける」。すなわち、イスラエルの子孫の行状のすべてが、隅々に至るまで明らかにされるならば、もはや神さまの前に、立ち果(おお)せることはできない、というのです。
共同訳2018でこの節を見てみましょう。
「主はこう言われる。もし、上においては天が測られ 下においては地の基が究められるなら 私もイスラエルのすべての子孫を 彼らのあらゆる行いのゆえに 退けることもありえよう――主の仰せ。」(エレミヤ31・37、共同訳2018)
「退けることもありえよう」ということは、「退けることはしない」と言っておられるということですね。つまり、もし世界の隅々まで知り尽くすとすれば、イスラエルの行状はすべて明らかになる、そうなれば、もはやイスラエルは私の前に立つことはできない、退けるしかなくなってしまう、しかしわたしはそうはしない、と神さまは語っておられるのです。とすると、ここで神さまは、もうイスラエルの罪を知ることをしない、と宣言しておられることになります。この31章を最初から、ゆっくりと読んでみると、その意味するところが良く理解できます。
「彼らはわたしの民となる」「永遠の愛をもって、わたしはあなたを愛した」「再びわたしはあなたを建て直し」「もう再びしぼむことはない」「わたしの民は、わたしの恵みに満ち足りる」「あなたの労苦には報いがある」「あなたの将来には望みがある」「わたしのはらわたは 彼のためにわななき、わたしは彼をあわれまずにはいられない」「背信の娘よ、いつまで迷い歩くのか。主はこの地に、一つの新しいことを創造される。女の優しさが一人の勇士を包む」「わたしは、わたしの律法を彼らのただ中に置き、彼らの心にこれを書き記す。わたしは彼らの神となり、彼らはわたしの民となる」「わたしは彼らの不義を赦し、もはや彼らの罪を思い起こさない」。
ここに十字架の愛が明らかにされています。
エレミヤ書は、不義の中に滅んでいくイスラエルの民の回復を語る書です。しかしその回復は遠い将来の出来事として記されています。エレミヤは希望を語り続けます。しかしそれは目前に迫った捕囚の後のことである、捕囚の苦しみを避けることはできない、あまんじて神さまの審判を受けよう、そののちにこそ、神さまの祝福があるのだ、と語ったのです。
「あなたがたが経験した試練はみな、人の知らないものではありません。神は真実な方です。あなたがたを耐えられない試練にあわせることはなさいません。むしろ、耐えられるように、試練とともに脱出の道も備えていてくださいます。」(第一コリント10・13)
「あらゆる恵みに満ちた神、すなわち、あなたがたをキリストにあって永遠の栄光の中に招き入れてくださった神ご自身が、あなたがたをしばらくの苦しみの後で回復させ、堅く立たせ、強くし、不動の者としてくださいます。」(第一ペテロ5・10)
今日は2か月ぶりとなる定期の診察に出かけます。今回は少し大掛かりな検査もすることになります。当初、3か月後にカテーテル処置と言われたのが、6か月後と言われ、さらにそれもなくなり、一年後と言われたのですが、一年後である今回もカテーテルではなく、心エコー、CTなどをすることになりました。