静まりの時 2022年7月22日(金)
アモス5・4~8
「主を求めて生きよ。そうでないと、主は火のように、ヨセフの家に激しく下る。火はこれを焼き尽くし、ベテルにはそれを消す者がいなくなる。彼らは、公正を苦よもぎに変え、正義を地に投げ捨てている。すばるやオリオン座を造り、暗黒を朝に変え、昼を暗くして夜にし、海の水を呼び集めて、それを地の面に注ぐ方。その名は主。
主は、強い者を踏みにじり、要塞を破壊する。
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善を求めよ。悪を求めるな。そうすれば、あなたがたは生き、あなたがたが言うように、万軍の神、主が、ともにいてくださる。」(アモス5・6~8、14、新改訳2017)
テコアの牧者であったアモスを、神さまは預言者と召されました。当時のイスラエルは繁栄の中にありました。繁栄の中にあって、かたちばかりの礼拝がささげられています。民の心は物質的な豊かさの中で、神さまから離れていました。貧富の差が大きくなり、貧しい者は虐げられています。社会の倫理観は大きく失われて行きました。
アモスは、神さまとは世界を創造されたお方である、そのお方をひたすら求めて生きよ、と語りました。神さまを求め、善を求めよ、悪を退けよ、と語りました。そうすれば生きることができる。そこにこそ神さまはともにいてくださる、と語りました。
イスラエルは神さまの国ですから、神さまが創造主であり、その神さまを求めることはよく分かっているはずです。実際、礼拝や例祭は盛んにおこなわれていました。しかしその心が、主を求めることになっていなかった、と神さまは指摘なさるのです。
神さまを求めよ、という言葉が繰り返されます。神さまがおられるのです。何が善で何が悪か分からなくなってしまうこの世界にあって、しかし神さまがおられるのです。神さまを求め、善を求めるならば、生きることができるのです。
金曜日の朝を迎えています。今週もいろいろなことがありました。週末に向かう道も、主を求めて前進したいと思います。