静まりの時 2022年7月21日(木)
エレミヤ33・1~9
「地を造った主、それを形造って堅く立てた主、その名が主である方が言われる。
『わたしを呼べ。そうすれば、わたしはあなたに答え、あなたが知らない理解を超えた大いなることを、あなたに告げよう。』・・・
『・・・見よ。わたしはこの都に回復と癒やしを与え、彼らを癒やす。そして彼らに平安と真実を豊かに示す。わたしはユダとイスラエルを回復させ、以前のように彼らを建て直す。わたしは、彼らがわたしに犯したすべての咎から彼らをきよめ、彼らがわたしに犯し、わたしに背いたすべての咎を赦す。・・・』」(エレミヤ33・1~9、新改訳2017)
大国バビロンの侵入により国が崩壊して行く時代に預言者として立てられたエレミヤ。神の国が異教の国の侵入によって滅びていくことを神さまの言葉として語らなければならないつらさに加えて、そのような言葉を聞きたくない民からの反発にエレミヤは苦しみました。きびしい言葉を語らなければならないことは、聞く方もつらいことですが、語る方もつらいことなのです。あるいはそのつらさを知らずに語るとすれば、それは生かす言葉にならないということかもしれません。
この厳しい言葉が語られているエレミヤ書ですが、その中にしっかりと希望の言葉が語られます。その一つがこの33章でしょう。
侵入するバビロンとの戦いで、イスラエルの国は荒廃します。「敵の塁や剣に対抗するために取り壊された、この都の家々」(4)。つまりバビロンからの攻撃を防ぐために防護するための壁を築かなければならないのですが、そのために民家を壊して材料とした、ということでしょう。戦争は人びとから日常の平穏な生活、暮らしを奪っていきました。そうして勝利に向かうならば、まだ耐えることもできたかもしれません。しかし国は確実に滅びに向かいます。そして麗しの都エルサレムが陥落するのです。身体的、経済的な損害もさることならがら、彼らの心に及ぼした苦しみの大きさは私たちの想像を越えたものだったのだと思います。
そのような中にエレミヤは「イスラエルの回復」を語りました。その回復の言葉は「あなたがたが、人も家畜もいない廃墟と言うこの場所で、人も住民も家畜もいない、荒れすたれたユダの町々とエルサレムの通りで、楽しみの声と喜びの声、花婿の声と花嫁の声、主の宮に感謝のいけにえを携えて来る人たちの声が、再び聞かれるようになる。」(10、11)。平穏な日常が取り戻される、町には以前の営みが回復される、と語ったのです。
日常生活の中の幸せは、失ってはじめて知るものなのかもしれません。当たり前のように朝が来て、いつものように食卓を囲み、それぞれの職務に遣わされ一日を過ごす。何気ない語らいや、生活の小さな事柄に一喜一憂する毎日。
もう25年ほど前になりますが、50歳で進行性の病のために天に召された姉妹がおられました。医療スタッフの治療が続く中、郷里の宮崎に移動して家族の懸命の介護を受けておられました。当時末娘が生まれて2歳にならない時だったと思いますが、家族みんなでお見舞いにいきました。ワゴン車を駆って片道12時間。熊本周りだったので1000キロほどだったでしょうか。病床の姉妹は痩せた身体で懸命に病気と闘っておられました。姉妹が「毎週当たり前のように礼拝に通っていたことが、とても貴重なことだったのだと今思います」と言われた言葉を時々思い起こします。
日常の中に豊かにあった幸福が、今は失われ、人びとは絶望の中にあるのです。しかしエレミヤは、神さまは必ず回復してくださる、もう一度あの平穏で幸せな毎日がやって来る、と力強く語りました。
私たちも様々な試練の中を通りますが、必ず回復の時がやって来ることを信じていきたいと思います。