あなたは、あなたの神、主の聖なる民

静まりの時 2022年7月4日(月)
申命記7・6~8

「あなたは、あなたの神、主の聖なる民だからである。あなたの神、主は地の面のあらゆる民の中からあなたを選んで、ご自分の宝の民とされた。
 主があなたがたを慕い、あなたがたを選ばれたのは、あなたがたがどの民よりも数が多かったからではない。事実あなたがたは、あらゆる民のうちで最も数が少なかった。しかし、主があなたがたを愛されたから、またあなたがたの父祖たちに誓った誓いを守られたから、主は力強い御手をもってあなたがたを導き出し、奴隷の家から、エジプトの王ファラオの手からあなたを贖い出されたのである。」

(申命記7・6~7、新改訳2017)

「あなたは、あなたの神、主の聖なる民だからである。あなたの神、主は地の面のあらゆる民の中からあなたを選んで、ご自分の宝の民とされた」(6)。

 モーセはイスラエルの民にむかって「あなたは、あなたの神、主の聖なる民」である、と語りました。新しい神の民イスラエルである教会、そして教会に生きる一人ひとりに向かって今日も「あなたは、あなたの神、主の聖なる民」と語りかけておられます。「聖なる民」とは、聖い民、という意味ですが、決して倫理的、道徳的に聖い民というわけではありません。聖いという言葉は、神さまのものとされた、という意味です。私たちは神さまの御手の中にあるのです。私たちは神さまに選びだされた、神さまの宝のものの民なのです。
 昔あるクリスマス会で、自分の宝としているものを持ち寄って自慢しようという、なんとも世俗的なクリスマス会があり、みなそれぞれに宝物としているものを持ち寄りました。その中でご高齢の兄弟が持参されたものが、家族の写真でした。私の宝物は家族です、とにこやかに語られたことに、それこそ世俗的な宝物を持ち寄って自慢していたその場の皆が、ちょっと自分の人生を振り返る、と言ったことがありました。神さまは私たちを、ご自分の宝物として喜んでいてくださいます。

「主があなたがたを慕い、あなたがたを選ばれたのは、あなたがたがどの民よりも数が多かったからではない。事実あなたがたは、あらゆる民のうちで最も数が少なかった」(7)。

 この「慕い」と訳されている言葉ですが、共同訳2018では「心引かれて」、以前の新改訳では「恋い慕って」、口語訳では「愛して」。恋愛感情を表す言葉であるとの説明がありました。どうして神さまは、イスラエルを、そして私たちを愛してくださっているのか、恋い慕って下さり、私たちに心引(惹)かれておられるのか。

「あなたがたがどの民よりも数が多かったからではない。事実あなたがたは、あらゆる民のうちで最も数が少なかった」(7b)。

 数が多かったからではなく、他の民族と比べて量的に優れているところがあったからではない、むしろあらゆる民のうちで最も数が少なった、と言います。では質的には優れていたのか。質的にも優れていたからとはいえないでしょう。この言葉の意味はいわゆる人間的な基準で優秀であった、選ばれるべき理由があった、と言うのではないのです。
 そもそも私の内に選ばれる理由がある、ということは、選びの主導権が自分の方にある、ということなのではないでしょうか。おおよその資格試験というものは、そういうものです。試験に臨むものが自らのうちに選ばれるべき理由があり、それを正当に評価してほしいという気持ちで臨むのが資格試験でしょう。自分のうちに選ばれるべき理由があると自負しているにもかかわらず選ばれなかったならば、その試験官に文句を言うでしょう。
 私たちには選ばれる理由が何一つない、むしろ選ばれるべきではない理由ならば数えきれないぐらいある、そういう私たちが選ばれた理由はいったいどこにあるのか。

「しかし、主があなたがたを愛されたから、またあなたがたの父祖たちに誓った誓いを守られたから、主は力強い御手をもってあなたがたを導き出し、奴隷の家から、エジプトの王ファラオの手からあなたを贖い出されたのである。」(8)。

 理由は「主が愛されたから」。そして「あなたがたの父祖たちに誓った誓いを守られたから」です。主の愛、そして主の誓い。それが理由でした。
 ではどうして主は愛してくださったのか。主が愛される理由はどこにあったのか。
 また主がご自分の誓いを守る理由がどこにあるのか。主が誓いを守りたくなるような誠実な歩みがイスラエルにあったのか。そこまでご自身の義を守る理由がどこにあるのか。神の民にかたむけられる神の愛と神の義の「いわゆる理由」を聖書に見つけることは難しいのではないでしょうか。
 「神さま、どうして私を愛してくださっているのですか」と問う私たちに、ただ「わたしはあなたを愛しているからだ」と答えられる。「神さま、どうして私に対して義を貫いてくださるのですか」と問う私たちに、ただ「わたしはあなたに義を貫くのだ」と答えられる。いえいえ、神さまその理由を聞いているのです、といっても、いわゆる理由をお答えにはならない、ということでしょう。神さまの愛と義の理由は、ひたすら神さまの側にあるということであり、私たちにとってはどこまでも神秘なのだと思います。

「もしあなたが、誰かから求愛されて、
『ぼくがあなたを愛するのは、あなたの顔が美しいからですよ。嘘だと思うならA子さんとくらべてごらんなさい。第二にぼくがあなたを愛するのは、あなたがそろばんがうまいせいですよ、何百人といるうちの会社で第五位なんですからね。ぼくのあなたを愛する第三の理由は、これはとても素晴らしいものなんだ。それはB君があなたのことを批評して、頭がいいといってたせいなんだ。』
 といわれたらどうだろう。むろんどの理由もあなたを賞めているのだから嬉しいという気がなさるだろう。しかしきっと心の奥の方では、このひとはほんとうにはわたしを愛していないのだという空虚なものを感じられるにちがいないことも確実なのである。
 愛というものは、最後には愛しているというより仕方ないものであるからだ。愛は、愛それ自身をもってしか説明できないものなのだ。というのは、愛は、どんな理由も必要としないだけでなく、むしろすすんでそのような理由を拒むものなのであるからだ」。

(椎名麟三、『私の聖書物語』、中央公論社、1959年、19頁f)

 「そろばんがうまい」というのは時代を感じさせますが、このキリスト者作家の言葉は心に入って来ます。愛は「どんな理由も必要としないだけでなく、むしろすすんでそのような理由を拒むもの」なのですね。

 そもそもイエスさまが十字架に架かり、神さまの愛と義を明らかにしてくださったのは、いまから二千年も昔のことです。「私」という存在が影も形もなかった時に、その「私」に向かってご自身の愛と義を明らかにしてくださったのです。私がどうであろうとも、この神さまの愛と義は一ミリも変化しない、それが神さまの愛と義なのです。

「あなたがたがわたしを選んだのではなく、わたしがあなたがたを選び、あなたがたを任命しました。」(ヨハネ15・16)

 私たちはみなこの神さまの一方的な選びの中に生かされています。このイエスさまの言葉の先に「互いに愛せよ」という新しい戒めが続きます。教会での交わりも、何かができるという理由があるから愛するのではなく、まったく理由がない、あるいはその逆の理由ならあまたあるというところでこそ、教会の交わりとなり、真実の愛となるのだと思います。

 しかし、そこで今一つ。この神さまの無限の愛と義を私たちは自動的に享受することができるのか。聖書は、それは少し違うと語ります。神さまは、善人にも悪人にも太陽を昇らせ雨を降らせてくださっています。しかし神さまは私たちを強要なさる方ではない、と昨日は聖餐の黙想の中で学びました。
 復活の主は旅を続ける二人と共に歩んでくださいましたが、二人が目的地に到着すると、ご自分は二人と離れて旅を続けようとなさいました。それで二人は一所懸命イエスさまを自分の家に招こうとしました。自動的に二人の家に入り込んでこられた、ということではないのです。そういう意味で幽霊や諸霊の類ではなく、イエスさまは人格をお持ちのお方なのです。私たちに対しても、私たちの人格を大切にしてくださる。人格と人格の出会い。そこにキリスト教信仰が生まれます。
 そのまま旅を続けようとされたからこそ、二人は強いてイエスさまを迎えようとしました。そしてイエスさまを自分たちの家に招き入れたとたん、イエスさまご自身が主人となって下さった、と昨日は学びました。
 神さまの愛と義は、私の何かによって変化することなく、私を支え、私を包み込んでいます。しかしその主の前にひざをかがめ心を開かないかぎり、その恵みを十分に受けることにならないのです。そよそよと流れる川の水にのどを潤すためには、ひざを折って頭を低くし、唇をその川面に浸さなければなりません。ひとたび唇を浸すならば、清水は全身を駆け巡り、私たちは力に満ちて立ち上がることができるのです。

 昨日説教で口走った本は、小澤竹俊著『もしあと1年で人生が終わるとしたら?』ですが、『今日が人生最後の日だと思って生きなさい』の方がベストセラーとのことでした。図書館にあります。また「人生とは、美しい刺繍を裏から見ているようなものだ。その模様が何を意味しているか、そのままでは分からないが、それを表から見られるようになったとき、その意味と美しさが分かる。」はピエール・テイヤール・ド・シャルダンの言葉ですが、伝統的によく語られている言葉ではないかと思います。みすずから著作集が出ていますが、カトリックの司祭で同時に地質学、古生物学の学者さんでした。

 刺繍を表から見られる日を夢見つつ、今日も神さまの愛と義に支えられて一日を過ごしましょう。