静まりの時 2022年4月23日(土)
ローマ1章1~7節
「キリスト・イエスのしもべ、神の福音のために選び出され、使徒として召されたパウロから。・・・
・・・その異邦人たちの中にあって、あなたがたも召されてイエス・キリストのものとなりました──
ローマにいるすべての、神に愛され、召された聖徒たちへ。
私たちの父なる神と主イエス・キリストから、恵みと平安があなたがたにありますように。」(ローマ1・1~7、新改訳2017)
当時世界を支配したローマ。その都ローマにイエスさまを信じる人たちが生まれました。その教会に使徒パウロが手紙を書きました。それがローマ人への手紙です。
手紙の最初に挨拶が書かれています。パウロからローマの人びとへ、と。
パウロは自分のことを「キリスト・イエスのしもべ、神の福音のために選び出され、使徒として召されたパウロ」と紹介します。
そのパウロが、この手紙の宛先の人びとのことを「召されてイエス・キリストのものとなりました」、「召された聖徒たち」と語ります。
イエスさまに召された者であるパウロから、イエスさまに召された聖徒たちであるローマの人びとへ、と書き送られた手紙。それがローマ人への手紙です。
パウロの宣教活動は、パウロの好みや願い、願望によるものではなく、神さまの召しによるもの、すなわち一方的な御心によるものである、ということでしょう。また福音が伝えられたキリスト者も、自分たちの様々な事情を超えて、神さまの召しによってキリスト者としていただいた者たち、すなわち神さまの御心の中に生きている人たち、ということでしょう。
その召しの中にあるお互いの中に「私たちの父なる神と主イエス・キリストから、恵みと平安があなたがたにありますように」(7)との言葉が語られます。
「恵みと平安」は、神さまの召しの中にあるお互い、すなわち神さまの御手の中にあるお互いであるからこそ、確かなこととして語られるのだと思います。私たちが恵みを平安を編み出すのではありません。恵みと平安は与えられるものです。私たちの父なる神さまと主イエスさまから与えられるものです。それは、お互いが神さまに召された者だからです。自分で選び取ったのではなく、神さまご自身が見出し選び出して下さって、私たちは今こうして生かされているのです。この召し、そして恵みと平安は、何によっても奪い去られることはありません。何と幸いなことでしょう。
昨日も遅くまで役員の皆さんが、団体の理事をしていてくださる兄弟も加わって、教会が恵みと平安に満ちたところであり続けるために話し合いの時を持ってくださいました。そこにも「召し」を感ぜずにはおれませんでした。役員として召された召しの中に祈りをともにする兄弟姉妹を思うと胸が熱くなりました。
麦も穂をつけ、田植えも進んでいます。