死人の中からよみがえると言われたのはどういう意味か

静まりの時 2022年2月14日(月)
マルコ9・9~13

「さて、山を下りながら、イエスは弟子たちに、人の子が死人の中からよみがえる時までは、今見たことをだれにも話してはならない、と命じられた。彼らはこのことばを胸に納め、死人の中からよみがえると言われたのはどういう意味か、互いに論じ合った。・・・」

(マルコ9・9,10、新改訳2017)

 イエスさまは三人の弟子たちだけを連れ山に登られました。弟子たちはそこでイエスさまの御姿が変わり、その衣がまばゆく輝くのを目撃しました。その山からイエスさまと三人の弟子たちが下る途中で、イエスさまは弟子たちに命じられました。「人の子が死人の中からよみがえる時までは、今見たことをだれにも話してはならない」と。
 それを聞いた三人の弟子たちは、このことばを胸に納めつつ「死人の中からよみがえると言われたのはどういう意味か」と互いに論じ合うことになりました。

 「今見たこと」とは、イエスさまが光り輝かれた、という出来事のことです。そのイエスさまが光り輝かれた、つまりまことの神さまである、そのことを明らかにされ出来事を、イエスさまが復活されるまで、イエスさまの復活が事実となるまで話してはならない、公のこととしてはならない、といわれたのです。逆の言い方をするならば、今見た光景が語る、イエスさまこそまことの神である、という事実は、復活において完全に明らかになる、ということでしょう。それまでに語ろうとすると、この光り輝く出来事が理解されない、あるいは誤解される、イエスさまがまことの神であることが分からなくなってしまう、ということでしょう。
 復活ということにおいて、イエスさまが神さまである、ということが完全に明らかになる、ということです。イエスさまの復活を信じることにおいて、イエスさまがまことの神さまであるとの信仰に生きる道が整えられる、ということでしょう。
 私たちは、十字架による贖いを信じています。しかしそれのみを信じているのではなく、十字架の三日の後に復活されたことを信じています。復活を信じて、はじめて、主イエスさまがまことの神さまであることを信じる信仰生活が成り立つのです。

 三人の弟子たちにこのようにイエスさまが命じられた結果、三人の弟子たちは「死人の中からよみがえると言われたのはどういう意味か」と論じ合うことになりました。
 イエスさまが復活されるということとはどういう意味か、という意味とともに、復活ということ、それはいったいどういう意味であるのか、そしてそれはまたいつかは死ぬ存在である自らにおいても復活ということはどういう意味を持っているのか、死に向かう自らのいのちも果たして復活するのだろうか、いったい今生かされれている私のこのいのちとはどういうものなのだろうか、と論じ合うことになったということでしょう。
 自分のいのち。それもまた、イエスさまが復活されるときに明らかになる、ということでしょう。復活は、イエスさまの存在、そのいのちが明らかになるときであるとともに私たちの存在、そのいのちが明らかになるときでもある、その時まではそれらを十分に理解することができない、ということでしょう。

 主イエスさまの復活に出会って、私たちは私たちのいのちを、その真実を知ることができる、ということです。復活のイエスさまにお出会いして、自らのいのちも、復活のいのちに結び付けられていることを知る、自らのいのちが、滅びに向かうものではなく、永遠のいのちに結びつけられたものである、そのような尊い価値を持つものである、ということを知る。おおよそ主イエスさまの「復活信仰」が、私のいのちの真価を知る道を整える、そうして自分自身のいのちを大切に生きることができるようになる、ということでしょう。

 復活信仰が、いたずらに来世へのあこがれを膨張させ、現世の生を希薄にするとすれば、その信仰にはどこか間違いが入り込んでいるのです。聖書の語る復活信仰は、今生きる私たちのいのちを大切に、喜びと感謝をもって生きる力を生み出すものです。どんなにかっこ悪くても、どんなに社会から否定的な評価をされるとも、復活信仰に生きる私たちは、今日を自分らしく晴れやかに生きることができるのです。

 一週間ほど前ですが、地域のサークルの作品発表会が文芸会館であり妻と出かけました。いろいろな作品が展示されていました。数々の作品からは、人生を楽しむ、いのちを楽しむ姿を教えられました。工芸品を作る、絵を描く、書に親しむ、短歌を詠む、花を飾る・・・ただ生きるということを考えるとどれもなくてはならないものではありません。しかしいずれも人間でしかしないことです。あるいは人間だからこそ行うことでしょう。ただ生きるということも大切ですが、人間として生きる、それは人間しかないことをするということにおいて味わうことでしょう。いのちを楽しむということは、そういうことなのだと思います。
 それにしてもこの発表会のなかでも水彩画のかずかずは、その淡い色合いの中に透明な美しさに満ちたすてきな作品でした。