嘲りの試練

静まりの時 2021年11月10日(水)

11月9日(火)は、本部の掃除が行われました。使わなくなっているマットレスや食器類を整理し、不必要なものは処分しました。処分のために教会から兄弟たちが軽トラックで御奉仕くださいました。私が行くことになっていたので大変助かりました。感謝です。
古いマットレスには「ロビンソン」という名前が書かれたものもあり、懐かしかったです。ロビンソン先生は、宣教師の教育者としてニュージーランドから来日された先生です。日本語はほとんどできないにもかかわらず、よく日本の人びとの中に入って奉仕されたと伺っています。大津教会に出席され、大津にある大学関係に通う学生たちにも英語で関わられたようです。私は直接存じ上げないのですが、帰国された後もときおり大津の教会へ献金を送ってくださったことからお名前をうかがうようになりました。もうずいぶん前に召されましたが、こんな形で私たちの思い出に残っておられます。
昨日の明け方はあたたかかったのですが、日中気温が上がらず、本部の作業中も寒い風が吹いていました。私はほとんど役に立たないのですが、とりあえずうろうろしていました。作業を通して交わりが与えられたことが感謝でした。何もしないのもなんなので、小さな座布団を運んでいると他の先生が私の手から取り上げて運んでくださいました。
昼前に私は失礼したのですが、その後、妻も一緒に参加した先生たちと昼食に近くに出かけたようです。コロナ禍でずいぶん久しぶりの食卓を囲んでの交わりの時となったようで妻はとても感謝していました。オンラインも便利で大切ですが、直接お出会いしての交わりには大きな意味がありますね。

10日(水)のデボーションテキストには次の聖句が記されていました。

「また、他の人たちは、嘲られ、鞭打たれ、鎖につながれ、投獄されるという目に遭いました。・・・世は、彼らにふさわしくなかったのです。」(ヘブライ11・36、38)

神さまを信じる者にとってこの世は「ふさわしくない」ところということでしょうか。迫害に出会うときに、自らは「旅人」であることを自覚させられるということでしょう。
私たちは旅行に出かけるときに、その土地や風土、さまざまな出会いを楽しみながら旅人であることを楽しむでしょう。必ず帰る家がある安心感を持ちながら、時に冒険の時も過ごすことでしょう。
旅人であるということは、世捨て人であるということではありません。また世を嫌悪して生きるということでもありません。旅人であるということは、いつか必ずまことのふるさとである天の御国への安心感を持ちながら、試練の時には忍耐をし、喜びのときには誰よりも喜んで、この世を本当の意味で楽しみ喜びながら生きることができるということです。
世は嫌悪するものではなく、愛するものなのです。神さまもこの世を愛して御子イエスさまを遣わされたのですから。ヨハネ3章16節。