あなたの貧しさが豊かさに、弱さが強さに変わる

静まりの時 2021年10月9日(土)

「わたしの神は、御自分の栄光の富に応じて、キリスト・イエスによって、あなたがたに必要なものをすべて満たしてくださいます。」

(フィリピの信徒への手紙4章19節)

・・・あなたの貧しさが豊かさに、弱さが強さに変わるからです。そして、低さが高さに変わり、耐えられないほどの苦悩がかえって神の恵みの豊かさが示される機会となるのです。神はご自身の無尽蔵の恵みの豊かさによって、あなたの窮乏を満たしてくださいます。さらに、あなたの器がいっぱいになるまで、神はあなたの不足を満たしてくださいます。
空になった壺を見て嘆いてはなりません。神が満たしてくださることを信じ、それらの壺を大いなる期待をもって主の御前に並べて置きなさい。・・・

C・H・スポルジョン、『いこいの水のほとりにて』、398頁f

「わたしの神」。このフィリピの信徒への手紙の冒頭に「わたしは、あなたがたのことを思い起こす度に、わたしの神に感謝し」(1・3)と書かれています。そこでパウロは「わたしの神」という言い方をしています。その言葉が、この4章19節に再び登場します。
神さまは、私の神である、というのです。誰それの神ではなく私だけの神だ、と独善的に言っているのではないでしょう。この世界に存在するすべての被造物にとってこの方だけがまことの神なのですが、その神さまを、わたしの神、と呼ぶ。それはそこに愛と親しさを込めているということなのだと思います。神さまはすべての存在にとって神であるとともに、私の神である、小さな小さな存在でしかない私が、私の神と呼ぶことができるほどに私にとって親密なお方、身近な存在である、それほどに私を愛していてくださるお方である、と呼んでいるのだと思います。
そのお方が、主イエスさまの栄光、すなわち十字架と復活によって完全にあらわされた神さまの存在感、その豊かさに応じて、私たちの必要のいっさいを満たしてくださる、と語ります。私にとって満たされないものは、このお方においては、何一つ存在しない、というのです。どこに求めても満たされないかに見えた空っぽの壺が、このお方のところに行けば必ず満たされる、満たしてくださる、それが主イエスさまである、イエスさまの栄光、十字架と復活である、と語るのです。ですから空になった壺を、このお方の前に並べて置こう、というのです。
このお方の前に並べるのは、空っぽの壺であって、中途半端に何かで満たしている壺ではありません。また何かに満たしておく必要はありません。その壺が空っぽであればあるほど、神さまの恵みは豊かに注がれます。神さまのみ前に出るときには、空っぽであることが大切なことなのです。

昨日のウォーキングでは、普段より少し歩く速度が速かったのか後半しんどくなってしまいました。暑い日でしたが健やかに過ごしたのでずいぶん調子がよく歩く速度が速くなったのだと思います。調子に乗っても図に乗ってはいけないといことですね。
きょうもよく晴れた朝を迎えました。ラジオからは美しい合唱の歌声が流れています。「ジョン・タヴァナー・西風のミサ」と紹介がありました。
きょうは備えの日です。善い備えをして明日の主の日を迎えたいと思います。幾人かの方が準備に来てくださいます。感謝します。

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