自分が元気で幸せなときには、隣の席に座っている人の重荷など目に入りません。
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だれであれ、私たちはたびたび試練に遭います。
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キリスト者はだれであれ、それぞれが自分自身のために、また隣人のために重いくびきの横木を背負わなければなりません。
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私が苦難を経験することがなかったとすれば、多くのことを学ぶことはなかったでしょう。異常な困難を経験し、自分の進むべき道がわからなくなったとき、主が現れてくださいました。そして、私を束縛していたくびきの横木を打ち砕いてくださいました。その方こそ、主なる神であることがわかったのです。C・H・スポルジョン、『いこいの水のほとりにて』、227頁f
2021年6月9日(水)
「軛」「くびき」。頸木とも書けるようです。牛や馬の首の後ろ、つまり首の上ですが、そこにかける横木のことです。人生の試練や重荷、そして十字架と考えていいと思います。まさに苦役だと思いますが、2頭立てであれば、そのくびきによって大きな力が発揮されるのでしょう。また片方が圧倒的な力に満ちていれば、もう一方は自分では担えなかった苦役を担うことが可能となるでしょう。
私たちにはイエスさまが共にいて、あらゆる「くびき」を担ってくださいます。
「野の木は実を結び、地は産物を生じ、彼らは自分の土地に安んじていることができる。わたしが彼らの軛の棒を折り、彼らを奴隷にした者の手から救い出すとき、彼らはわたしが主であることを知るようになる。」(エゼキエル34・27)