日々、聴き続けるべき、神の呼び声

私たちの罪は、いつも自分の義(ただ)しさの主張となる。神に対してすら、自分ではなくて、神よ、あなたが間違っている、という言い方になる。何ということであろう。滅びが待っているのは当然ではないか。しかし、神は言われる。どうしてお前たちが死んでよいのか。私たち以上に神は、私たちが生きることを願っておられる。だから、一所懸命に呼びかけられる。「お前たちは立ち返って、生きよ」。日々、聴き続けるべき、神の呼び声である。

加藤常昭、『み言葉の放つ光に生かされ』、332頁

2020年11月9日(月)

自分の義さの主張となること、それが私たちの罪である、といいます。みんな自分こそ正しいと主張するので、世界は生きづらくなるのです。神さまの祝福が無くなるのです。滅びを招いてしまうのです。そのようなところから救うために主イエスさまはこの地に降り十字架と復活のみわざを成し遂げてくださいました。

「『それなのにイスラエルの家は、『主の道は正しくない』と言う。イスラエルの家よ、わたしの道が正しくないのか。正しくないのは、お前たちの道ではないのか。それゆえ、イスラエルの家よ。わたしはお前たちひとりひとりをその道に従って裁く、と主なる神は言われる。悔い改めて、お前たちのすべての背きから立ち帰れ。罪がお前たちをつまずかせないようにせよ。お前たちが犯したあらゆる背きを投げ捨てて、新しい心と新しい霊を造り出せ。イスラエルの家よ、どうしてお前たちは死んでよいだろうか。わたしはだれの死をも喜ばない。お前たちは立ち帰って、生きよ」と主なる神は言われる。」(エゼキエル書18・29-32)