霊である神を拝する霊的礼拝とは何であろう

自分たちの礼拝が霊と真理によるということを、どのように吟味検証することができるのであろう。霊である神を拝する霊的礼拝とは何であろう。・・・神の言葉、神の独り子キリストによってのみ、霊と真理による礼拝の道が整えられているのではないか。

加藤常昭、『み言葉の放つ光に生かされ』、331頁

2020年11月8日(日)

霊と真理による礼拝をささげよ、と言われるということは、私たち人間は霊と真理によらない礼拝をささげてしまう罪人であるということでしょう。礼拝においても罪を犯してしまうということでしょう。

私たちが霊と真理によって礼拝をささげることができるように御子イエスさまは天より降ってくださいました。

「言は肉となって、わたしたちの間に宿られた。わたしたちはその栄光を見た。それは父の独り子としての栄光であって、恵みと真理とに満ちていた。」(ヨハネ1・14)

「しかし、まことの礼拝をする者たちが、霊と真理をもって父を礼拝する時が来る。今がその時である。なぜなら、父はこのように礼拝する者を求めておられるからだ。神は霊である。だから、神を礼拝する者は、霊と真理をもって礼拝しなければならない。」(ヨハネ4・23、24)